ユニークなキャリアや珍しい仕事に情熱を注ぐ人々をゲストに招き、その道のりや考え方を深掘りするラジオ番組「ミラクルモンスター」。NPO法人Mirai Kanaiが提供するこの番組では、今回、沖縄県内でトップクラスの軽貨物台数を誇る「琉球パートナー物流」の上原 尚師さんをお迎えしました。パーソナリティのズケヤマセイラと、佐川急便時代の同僚であるみやぎたくまが、上原社長の波乱万丈なキャリアと未来への挑戦に迫ります。
琉球パートナー物流株式会社 代表取締役 上原 尚師
https://ryukyupartner.com/

めんどくさがり屋だった少年時代から土木、マック、そして佐川急便へ
イ: 1982年12月19日生まれ、那覇市出身の上原社長。子供の頃はどんなお子さんでしたか?
上原社長: 「めんどくさがり屋」で、特に活発でも内向的でもない、ごく普通の少年だったと語ります。何かに夢中になったり、明確な目標を持ったりするタイプではなかったとのことです。
イ: 大学卒業後、最初に選ばれたお仕事は何だったのでしょうか?
上原社長: 土木でした。しかし、そこはわずか一瞬の経験に。その後、マクドナルドでのアルバイトを経て、物流大手「佐川急便」に入社します。
イ: 佐川急便に入られたきっかけは何だったのですか?
上原社長: マクドナルドで一緒に働いていたアルバイトの後輩からの声かけだったと言います。後輩の母親が佐川急便の事務をしていた縁で、トントン拍子に入社が決まったそうです。ここでも「誰と会うかで人生なんて一瞬で変わったりする」という私自身の人生観が垣間見えます。
イ: 佐川急便ではどのようなご経験を?
上原社長: 軽貨物だけでなく、2t車、4t車、クール車など様々な車両を扱い、荷物の集配や営業など、幅広い業務を経験しました。当時の私は「容量が悪い」と言われ、それがトラウマになっていたそうですが、時間と根性、精神論で結果を出し、人よりも倍働くことで克服していったと振り返ります。休みの日や皆が帰った後も仕事に励んだ結果、「やる気がない、能力がない、センスがないのではなく、結果気持ちの問題なんだろう」と学んだと言います。この佐川急便での経験、特に「根性」と、「知識より意識」という先輩からの言葉が、後の私のキャリアにおいて非常に大きな財産となります。
独立、そして「魔の5年間」
イ: 佐川急便で結果を出せるようになり、そこから独立を決意されたのですね。
上原社長: 「自分でやった方がいいんじゃないか」という思いから独立を決意し、2012年1月17日に琉球パートナー物流を設立します。独立当初は、車を持たずに仕事案件だけを取り、ドライバーに振るという仲介業を目指しました。しかし、このビジネスモデルはうまくいきませんでした。
イ: 具体的にはどのような状況だったのでしょうか?
上原社長: 「まず人がない、車がない」。自分でトラックを持たないといけない状況になったものの、資金がなく、やり方も分からない。ナシヅクシの状況で、「人生終わった」と感じたこともあったそうです。これが私が後に「魔の5年間」と呼ぶ苦しい時期の始まりでした。 当初は共同創業者と共にスタートしましたが、すぐに資金難でそのパートナーはいなくなってしまいました。お金を出していたのは私自身。一度は事業を畳もうかとも考えましたが、佐川急便での経験を活かし、まずは自分ができる宅配業務から始めようと奮起します。ギフト配送やヤマト運輸からの仕事を受けながら、何とか食いつなぐ日々。「最初の1、2年は365日寝ずにやってた」と語るほどの壮絶な時期でした。
イ: そんな苦しい時期を支えてくれた存在は?
上原社長: 佐川急便時代の同僚だった琢磨氏でした。琢磨氏は無償で私の事業を手伝い、まさに命綱のような存在だったと言います。「あの時、琢磨さんがいなかったら死んでるだろうな」と、心から感謝しています。琢磨氏とは佐川時代、同じ担当エリアで共に汗水垂らして働いた間柄です。夏の暑い日、出発前に署長からポリバケツの氷水を頭からかけられて気合を入れるという、今ではパワハラになりそうなエピソードも笑い話としてあります。
転換期と現在の成功
イ: 業績が上向き始めたのはいつ頃だったのでしょうか?
上原社長: 創業から約5年目を迎えた頃でした。それまで佐川急便での経験を活かした「経験者頼み」のビジネスだったため、未経験者が育ちにくいという課題がありました。ちょうどその頃、経験者のスタッフ4名が一気に辞めるという事態が発生。これを機に、ビジネスモデルの見直しを図ります。誰でも、女性でも高齢者でもできるような仕事(メール便などポスト投函の仕事)にシフトした結果、業績は右肩上がりに転じました。
イ: ポスト投函のお仕事はいかがでしたか?
上原社長: 慣れるとサクサク配れるようになり、一人でタイムアタックをするなど、ゲーム感覚で楽しんでいます。集中して業務をこなすことに「やりがいがある」と感じています。
イ: 現在の琉球パートナー物流について教えてください。
上原社長: 沖縄県内で一番と言われる軽貨物の台数(60台以上)を抱える会社へと成長しました。宅配ではなく、企業向けの配送でこの台数は県内トップかもしれません。台数を増やすことを明確な目標としていたわけではなく、「お客様の要望は断らない」という姿勢を貫いた結果、自然と仕事が増え、それに伴って台数も増えていきました。難しい依頼でも「やれなかったら後で考えりゃいい。とにかくやる」という強い意志で取り組んでいます。
イ: 経営の難しさ、そして楽しさはどのようなところに感じますか?
上原社長: やはり人と人を動かしていくこと、そして自分のやりたいことと現状の乖離に悩むことがあるそうですが、それも含めて「楽しい」と感じています。スタッフとの関係性においては、特に「伝え方、話し方」を最も意識しています。経営者とスタッフは立場が違うため、正確に伝えることが重要だと考えているからです。 また、緊急の依頼にいつでも対応できるよう、約6年半もの間、飲酒を断っていた時期があったことも明かしました。その間に事業の仕組みや地盤を固めたと言います。まさに事業のために自己を律してきた証です。
未来への挑戦:ペットホテル&トリミングサロン事業
イ: 現在、琉球パートナー物流は安定した成長を遂げていますが、新たな挑戦にも乗り出されるそうですね。
上原社長: はい、2024年6月からの開業を目指し、ペットホテルとトリミングサロン事業を進めています。那覇市の楚辺通りに路面店としてオープン予定で、約36坪の広さがあります。
イ: なぜ物流とは全く異なるペット事業なのでしょうか?
上原社長: きっかけは経営者仲間からの情報でした。自身も以前ペットを飼っていた経験や、本業である配送業とのシナジー(ペットタクシー)があると感じたことが後押ししました。県外では普及しているペットタクシーは、トリミングサロンなどへペットを連れて行けない飼い主の代わりに送迎するサービスで、これは荷物(物)を運ぶという扱いの為、既存の軽貨物事業の許可で対応が可能です。
イ: 新規事業の特徴を教えてください。
上原社長: 今回の新規事業は、沖縄にはまだないフランチャイズ「ワンルーク」での展開です。ワンルークは、ペットをゲージに入れない(片1畳分のスペース、天井吹き抜け)、ストレスフリーな預かり方を売りにしている点が特徴です。「自分もペットを飼っていた時、預け先に困った経験がある。ゲージに入れられるのはストレスだろうと思っていた」と、自身の経験も事業の動機の一つであることを語りました。
イ: 新規事業への意気込みはいかがですか?
上原社長: この新規事業は、琉球パートナー物流とは別の個人事業主としてスタートします。初期投資として約2000万円を個人で借り入れたそうで、「怖くてビビっている」と本音も漏らしました。少ない資金から積み上げてきた物流事業とは異なり、いきなり大きな投資が必要な新規事業に「資金が減っていくのを見るのはしんどい」と感じているそうですが、「どうにかなる」「やるしかない」と感情に流されず、淡々と物事を進める姿勢を貫いています。 この新たな挑戦は、日頃支えてくれる優秀なスタッフのためでもあり、事業を成功させて還元したいという思いが原動力となっています。トリマー3名を雇用し、名古屋での研修なども実施予定です。オープンに向けた情報は、現在準備中のInstagramアカウントなどで発信していく予定です。
人生観:「凡事徹底」と「出会い」の重要性
イ: キャリアの中で道に迷ったり立ち止まったりすることもあったと思いますが、上原社長にとって戻るべき「指針」のようなものはありますか?
上原社長: 人は「ぶれてオッケー」で、ぶれまくって失敗しながらも「やるしかない」と、とにかく目の前のことに取り組んできた結果、今があると考えています。これは「ぶれる前提で設計している」とも言えるかもしれません。
イ: 困難な状況でも「とにかくやってる」「こなしている」と語られていますが、その姿勢について詳しくお聞かせください。
上原社長: この「凡事徹底」とも言える姿勢は、数年後に振り返ると偉人の名言通りだったと感じることがあると言います。特に感銘を受けたエピソードとして、松下幸之助氏が松下政経塾生を選んだ基準が「運と愛嬌」であり、野球のコーチが「運がいい人とは、どんなボンダでも全力で一塁に走り切れる人だ」と語った話を紹介しました。何事も全力でやる、目の前のことをおろそかにしないことこそが運を掴むことにつながると、自身の経験と重ね合わせて語りました。
イ: 上原社長のキャリアは常に人との「出会い」に支えられてきたのですね。
上原社長: はい。佐川急便に入ったきっかけ、佐川急便でのキャリアアップ、そして苦しい時期を支えてくれた琢磨氏、新規事業の情報をもたらしてくれた経営者仲間など、本当に人との繋がりに感謝しています。私が主催する会合がきっかけで、パーソナリティの漬け山さんと琢磨さんが出会ったというエピソードもあります。
リスナーへのメッセージ
イ: インタビューの最後に、リスナーへのメッセージをお願いします。
上原社長: 「悩んでても、とにかくもうやりきる。間違ってる方向に行っててもやりきるし、一生懸命やってたら誰かが絶対助けてくれますからね。」 そして、事業を成功させている多くの経営者が「誰かが助けてくれた」と語るように、皆さんにも会社員であろうと関係なく、アグレッシブにやりたいことを突き進んでほしい、やりたいことがなくても「とにかく一歩一歩進んでいく」ことが、人生を成功させる秘訣だと語りました。
イ: 上原社長、本日は貴重なお話をありがとうございました。
沖縄の軽貨物業界を牽引しながら、新たな分野への挑戦を続ける上原孝志社長。そのキャリアの根底にある「根性」と「凡事徹底」、そして人との繋がりを大切にする姿勢は、私たちに多くの示唆を与えてくれます。ペットホテル&トリミングサロンのオープン、そしてその後の事業展開からも目が離せません。