今回ミラクルモンスターにご登場いただいたのは、auの立ち上げメンバーであり、その後浦添市の教育長も務められたという異色の経歴を持つ嵩元盛兼さんです。パーソナリティの宮城さんとズケヤマさん、見守り役のかずみんとさちえさんと共に、嵩元さんの波乱万丈(?)なキャリアストーリーと、その根底にある哲学を深掘りしました。

嵩元さんは1990年4月25日生まれで、来週には70歳を迎えられるとのこと。
諸小学校、コザ中学校、コザ高校と地元で育ち、金沢の大学へ進学。その後は琉セキに入社し、衆議院秘書、琉球セルラーの課長や次長を経て、auの設立準備から深く関わられました。さらに、浦添市の教育長も務めるなど、その経歴はまさに多岐にわたります。
おしゃべりつばめ、そしてチューブレスの魂
イ: 嵩元さんのパーソナリティの片鱗は幼少期にあるとのことですが、詳しくお聞かせいただけますか?
嵩元さん: 小学校2年生の時、あだ名は「おしゃべりつばめ」でした。先生から「おしゃべりつばめ」という小説になぞらえて「お前さんみたいだね」と言われ、冬が来ても喋り続けて死んでしまうという悲しい話に傷ついたそうです。しかし、おしゃべりが止まらないことから「沈黙は金だけど、おしゃべりまくって銀を取ろう」と考え、喋りに磨きをかけた結果、様々な経験をされてきたと語ります。おしゃべりが、人とのコミュニケーションや対話を通じた経験の原点だったのかもしれません。 また、ご自身のことを「チューブレス」と表現されます。これは、コザ出身者としてのアイデンティティに根差しています。コザは「パンクの街」「ロックの街」とも呼ばれ、肩書きや学歴ではなく、「中身はないけどパンクに強い」自転車のタイヤのように、肩書きはないけれど時にはパンクの時に強いという皮肉と誇りを込めた言葉です。
イ: 小学校の朝礼でのエピソードもユニークですね。
嵩元さん: 優勝者などが呼ばれる壇上に、呼ばれていないのに「呼ばれたような気がして」上がってしまったエピソードも披露されました。優勝者ではないことに途中で気づいたものの、「呼ばれたような気がする」という感覚は人生で意外と大事だと私は言います。呼ばれて行くのではなく、呼ばれていないのに自ら行くことで、上から見える景色や、自分が優勝者ではないという事実を肌で感じることができ、それが人生経験を豊富にしてくれるのだと語られました。
沖縄セルラー立ち上げの舞台裏と稲盛哲学
イ: 嵩元さんのキャリアの中でも特に注目すべきは、沖縄セルラーの立ち上げですね。
嵩元さん: 琉球セキにいた頃、当時の初代社長である稲嶺惠一さん(後に知事)から設立準備に人を出すよう求められ、ある人が私を推薦しました。社長からは「あいつは危ない」と思われたそうですが、先輩が「できるのはあれぐらいじゃないとダメ」と後押しし、設立準備に関わることになったのです。27歳頃から50代まで、私の青春そのものが沖縄セルラーだったと語ります。 立ち上げ当初から株集め、代理店集め、そして営業部長として最前線で奔走されました。沖縄セルラーの働き方は「半端ない」ものでしたが、それは「働くだけ働いて必ず利益が出る仕組み」、つまり「誰がやっても成功するぐらいの方程式」が組織の中にあったからだと分析します。
イ: 京セラの創業者である稲盛和夫さんの哲学からも影響を受けられたとか。
嵩元さん: 稲盛さんの「人生・仕事の結果 = 情熱 × 能力 × 考え方」という方程式に言及し、特に「考え方」が最も重要だと強調しました。どれだけ頭が良くても、能力や情熱があっても、「考え方」が間違っていれば悪い方向へ進んでしまう。稲盛さんからは会議などで厳しく「どう考えてるんだ」と問い詰められ、「思ってるレベルじゃ全然許してくれない」経験を重ねたそうです。稲盛さんの叱り方は本気で、時には「ぶっ殺すぜ」と感じるほど強烈だったといいますが、それは「本当の身内しか本気で怒らない」稲盛さんにとって、私が身内のような存在だったからかもしれません。この稲盛さんの「考え方」を沖縄が身につければ、とても良い効果が出ると私は語りました。
イ: 沖縄セルラー時代の営業戦略についてもお聞かせください。
嵩元さん: 独自の工夫を凝らしました。一つは、保険会社の研修で学んだ「沈黙の術」。説明を終えたらあえて黙ることで、顧客がもっと話を聞きたいのか、そうでないのかを見極めるという手法です。 もう一つは、私自身が編み出したという「三角蹴り」。これは、目の前の相手(例:立さん)に直接携帯電話を売るのではなく、「この携帯電話を必要としている人、助かる人はいませんか?」と尋ねる方法です。本人に買わせようとせず、紹介を促すことで、「あれ、私に売らないの?」という興味を引き、紹介してもらった人が喜ぶという仕組みです。さらに、紹介してくれた人へお礼に行く「常識」という行動を繰り返すことで、紹介の輪が広がり、結果として沖縄セルラーのNさんシェアは全国1位、最大76%にまで達したそうです。これは驚異的な数字であり、私の卓越した営業手腕がうかがえます。
浦添市教育長としての挑戦と公務員への理解
イ: 沖縄セルラーで輝かしい実績を上げた後、浦添市の教育長に就任されたのですね。
嵩元さん: はい。民間人からの教育長は異例であり、特に浦添出身でも教育経験もない私の就任には、議会でも反対意見が多かったそうです。しかし、市長の人事権により承認され、「イレイラーであった」就任となりました。
イ: 教育長として、どのようなご経験をされましたか?
嵩元さん: 現場の学校へ行って学校事情を聞きたいと思っていましたが、教育長という立場の人間が現場に行くと先生たちが気を遣い、迷惑になる側面もあることを実感したそうです。教育委員会での改革も、法律や文部科学省の学習指導要領によってほとんどが決まっており、新しいことをやろうとしても「できない」ことが多いという現実がありました。
イ: 公務員の仕事の難しさについても語られていましたね。
嵩元さん: 税金を使うため、間違えないように「正しく使う」ことが重視され、結果として「何もしないのが一番無難」という状況になりがちです。しかし、毎週の会議で税金をどう使わないか、どう予算を取ってくるかなど、外からは見えないところで賢く知恵を使って仕事をしている公務員もいると指摘します。法律の制約の中で、子どもたちのために何ができるかを必死に考えている人たちがいるのです。私は、そのような公務員に対しては「褒めるに限る」と語り、褒められることで心を開いてくれると経験談を語りました。 沖縄県内の市の教育長が集まる勉強会では、個性的な教育長たちとの交流もあったそうです。特に、判断力と情報収集能力が高く、自分の考えをはっきりと言う普天間教育長の姿勢に感銘を受けたエピソードを披露されました。
人生を豊かにする嵩元流哲学
イ: 嵩元さんのお話は、キャリア論にとどまらず、人生哲学にも及びますね。
嵩元さん: これからのAI時代には、正しいことだけを言うAIにはできない「哲学」が大事になると語ります。哲学の始まりはソクラテスであり、ソクラテスの哲学は実はおしゃべりのことだった。ソクラテスは、偉い人たちに質問(問答法/産婆術)を繰り返すことで、相手が答えに詰まり、結局「自分はほとんど何も知らない」という「無知の知」にたどり着いた。コザは「おしゃべり」な人が多いため、「哲学の町」と言えるかもしれないとユニークな視点を披露しました。
イ: 有名な慣用句にも、嵩元さんならではの解釈があるとか。
嵩元さん: 「犬も歩けば棒に当たる」には、「ましてや人間をや」という下の句があると紹介しました。犬ですら歩いていれば餌にありついたり棒で追われたりする経験をするのだから、人間ならもっと多くの経験をすることになる、という意味合いがあると説明します。「井の中の蛙大海を知らず」には、「ただ空の深きを知るのみ」という下の句があると言います。井戸の中のカエルは広い海を知らないが、いつも見上げている空の夏の空、秋の空、冬の空の違いは分かり、その空の深きを知る。これは、一見世間知らずに見える人でも、自分が見ている世界を深く探求していることを示唆しています。これらの下の句を知っているかどうかで、物事の捉え方が変わると教えてくれました。
心に響く一冊「自閉症の僕の七転び八起き」
イ: 「準備してきた」と言って紹介してくださった本について教えてください。
嵩元さん: 東田直樹さんの本です。特に「自閉症の僕が跳びはねる理由」と「自閉症の僕の七転び八起き」の2冊。東田さんは重度の自閉症で、普通の会話ができませんでしたが、お母さんとの工夫によりパソコンなどで会話や文章作成ができるようになりました。彼の本が世界中で売れたのは、自閉症の子どもを持つ親たちが、自閉症の子どもの心の中でこんなに深く考えていることを知り、救われたからです。 私は特に「自閉症の僕の七転び八起き」の後書きの一部を朗読してくれました。 「僕は自閉症という障害を抱えています。普通の人との違いが苦しくて小さい頃はいつも隠れる場所を探していったような気がします。(中略)自閉症であることが悪いわけではない。僕は僕らしく生きていくことを決心しました。(中略)七転び八起きという言葉は、何度失敗しても諦めずに立ち上がることの例えです。落ち込んで絶望して、もうどうにもならないと諦めても、次の日はやってきます。生きるためには自分自身を励まし続け、明日へ希望を見いださなくてはなりません。(中略)もがき苦しむ人の背中を押してあげられるのは、些細な優しさであったり、かけがえのない人の言葉だったりするんではないでしょうか。」 言葉を話せないと思われていた東田さんが、世界中の親たちに希望を与えている。私の朗読は、その言葉の力と、苦しみながらも前を向く強さを私たちに届け、パーソナリティたちは涙をこらえきれませんでした。
今後の展望:オイストとハイスクール構想
イ: インタビューの最後に、嵩元さんの今後の活動についても触れられていましたね。
嵩元さん: 昨年から関わっているというオイスト(沖縄科学技術大学院大学)と連携したハイスクール設立構想です。沖縄県民にあまり知られていないオイストの重要性を伝え、県民の理解を深めることで、予算削減を防ぎたいという強い思いがあるそうです。オイストの高校、「楽しいのを作ります」という言葉からは、私の新たな挑戦への情熱が感じられました。
終わりに
イ: 沖縄セルラーの立ち上げから教育長まで、その異色のキャリアは単なる職務経歴ではなく、一つ一つの経験から学び、自らの哲学を深めてきた嵩元盛兼という一人の人間の生き様そのものですね。おしゃべりの中にも深い洞察があり、ユーモアを交えながらも本質を突く言葉の数々に、終始引き込まれるインタビューとなりました。まさに「このパワーのあるおじさん」と称される嵩元さんの話は、聞く者の心に響き、多くの気づきを与えてくれます。 今回の1時間はあっという間に過ぎてしまいましたが、嵩元さんからは「10日間で120個のネタがある」という驚きの一言も飛び出し、次回は2時間フリートークの機会をいただけることになりました! 「おしゃべりつばめ」ならぬ、「おしゃべりモンスター」嵩元盛兼さんの今後の活動、そして次回のお話がますます楽しみです! 嵩元盛兼さん、本日は貴重なお話をありがとうございました!