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【インタビュー記事】センジュ出版代表・吉満明子氏に聞く、「対話」と「あわい」に満ちた本づくりの世界

今回のミラモンモンスター(ゲスト)は 株式会社センジュ出版 代表 吉満 明子 対話を促す書籍やサービスを提供する株式会社センジュ出版代表兼、共有地「空中階」管理人。 哲学対話を軸とした文章講座&ビジネスブランディング講座講師。対話型講演/研修多数。対話士、メンタル心理カウンセラー

センジュ出版 https://senju-pub.com/



パーソナリティ ズケヤマセイラ(以下、イ): 吉満さん、本日はよろしくお願いいたします。まずは、センジュ出版の活動について教えていただけますか?

吉満明子氏(以下、吉満): はい、よろしくお願いいたします。東京都足立区から参りました、センジュ出版という小さな出版社の代表をしております、編集者の吉満明子と申します。会社は今年で創業10年目を迎え、主に本を発行しています。

本と福祉との出会い:『モモ』が灯した道

イ: 吉満さんは幼い頃から本がお好きだったのですか? 今の活動に繋がるような原体験があれば教えてください。

吉満: 幼い頃から本が大好きだったというよりは、母が何でも本を買ってくれるタイプだったので、家にたくさんの本がありました。気づけば両親が読んでいた本も含め、たくさんの本に囲まれていましたね。特に、小学校6年生の時に母から買ってもらったミヒャエル・エンデの『モモ』という児童小説が、その後の人生を大きく左右したと感じています。当時はスマートフォンやインターネットが身近ではなく、テレビ、新聞、雑誌、そして書籍が主な情報源でした。本の存在は今よりもずっと身近で大きなものだったと思います。

イ: 大学生時代にはボランティア活動に熱中されたそうですね。

吉満: はい。児童養護施設や、出所後の身寄りのない女性たちが暮らす寮での活動を経験しました。児童養護施設で出会った子供たちの寂しそうな顔が忘れられず、「どうしてあの子はこんな顔をしなくちゃいけないんだろう」と胸が締め付けられるような思いをしました。この経験があったからこそ、何か福祉に関わるようなことで、なおかつ出版という要素を組み合わせたいと考えるようになったのだと思います。今振り返ると、あの時の子供の目が私に本を作らせていると感じています。

社会人経験と独立への道のり

イ: 社会に出てからのお仕事についてもお聞かせいただけますか?

吉満: 生まれて初めてのアルバイトは高校生の時の書店員です。「本が好きだから」というシンプルな理由で、自宅のそばの本屋さんに自ら申し込んで働きました。高校生の時にはすでに人に携わる仕事に就きたいと考えていました。会社員としては、特別養護老人ホームの施設長が読むような専門誌の編集部に所属していましたので、どちらにしても本や出版には携わっていましたね。

イ: 独立の大きなきっかけは何だったのでしょうか?

吉満: 2011年の東日本大震災です。物理的にも揺れましたが、心もものすごく揺さぶられました。「一体、大学生の時に目指していた編集者とは、今の働き方や本作りを指していたのだろうか」と、自分の半生を点検するような気持ちになりました。「もう少しこう等身大の自分らしい本作りをしてみたいかもしれない」という思いが芽生えたのです。その翌年に一人息子が生まれたこともあり、彼に残していく本や、彼に見せていく姿を考えた時に、自宅のそばで出版社を立ち上げるという流れになっていきました。多くの方が亡くなった出来事なので簡単に良かったとは言えませんが、震災がなければまだ会社にいてバリバリ働いていたかもしれません。あの時の出来事が独立の一つのきっかけになったのは間違いありません。

センジュ出版の誕生と「対話」という核心

イ: センジュ出版を立ち上げる際には、周囲の反応やご自身の葛藤はありましたか?

吉満: 2015年9月1日にセンジュ出版を立ち上げたのですが、当時は周りが必死に止めました。「家を売ることになるかもしれないよ」「このまま会社にいれば安泰なのに」と、私のことを思って止めてくれる人がたくさんいました。しかし、「何かしたいこととかチャレンジしたいことがある場合はそれをやった人に相談をする」ということを大事にしていて、すでに会社を起こした方の本をよく読んでいました。その先輩方が立派に素敵な出版社を続けられているのを知り、「この方々がこんな思いで続けることができているんだったら私にもチャレンジをしてみたいかも」と背中を押されたのが事実です。これも書籍からの影響ですね。

イ: 独立されてから、何か変化や得られたものはありましたか?

吉満: 出版社に勤めていた時代は、流れ作業のように本を作っていました。原稿ができたら印刷所に入れて次の本、というまるでベルトコンベアに本が乗っているような作り方だったんです。どんな人がどんな思いで本を読んでいて、その人の人生にどんな影響があったかということは読者ハガキからは伺い知ることができましたが、直接お会いして、どんな表情でどんな声色でその本の話をしてくれるかを知ることはありませんでした。 しかし、センジュ出版を立ち上げてからは、1年に1冊ペースというゆっくりとしたスタンスで本を作るようになり、読んでくれた方が直接会いに来てくれたり、著者と一緒に本の話をさせていただく機会が増えました。その時に、読者の方が泣きながら「この本のおかげで」と言ってくださると、恥ずかしながら「編集者1年生になった気持ち」になるんです。「本ってこんなにすごい力を持ってたんだ、こんなにメッセージを伝えられるものだったんだ」と改めて感じました。どの本を誰が読んでくれて何を言われたか、今ではすぐに思い浮かべることができます。これが会社を立ち上げて本当に良かったことだと感じています。

イ: 10年続けてこられて、センジュ出版がどこから来てどこに向かおうとしているのか、言葉になったものはありますか?

吉満: はい。創業8年目、特にコロナ禍を経て言葉になりました。それまでは周りの方が良い形でセンジュ出版を表してくれ、言われること全てに共感できたものの、「完全にセンジュ出版ではないんだよな」と感じることもあったんです。コロナ禍が起きたことによって改めてスタッフと、会社がどこから来てどこに向かおうとしているのかを言葉にしようと話し合いました。その中でアルバイトの方の一言から「センジュ出版は対話する会社だ」という言葉が見つかったんです。 その瞬間に、自分のこれまでの道を振り返ったら、そこかしこに「対話」と書いてあったように感じました。前を見ても、今立っている足元の看板を見ても対話と書いてあるように感じるほど、初めて自身の体に一番フィットする言葉でした。『モモ』も対話をする話ですし、私自身も著者や読者、スタッフとずっと対話をしてきた時間だったことに気づき、名付けるなら「対話」だったのだと腑に落ちたのです。 今では「対話」をど真ん中に置いて、対話しながら本を作り、作った本を間に置いて読者と対話することを、今まで以上に楽しんでいます。

イ: 「対話」と「会話」の違いについて、もう少し詳しく教えていただけますか?

吉満: 対話は一つのテーマでお互いに言葉で伝え合い、分かり合おうとする「言論行為」です。会話がどんどんテーマが移り変わるのに対し、対話は一つのことをみんなでじっくり考え合うコミュニケーションだと捉えています。センジュ出版では「哲学対話」も行っており、これは哲学をするというよりは、「生きるってなんだろう」「友達って何のことを言うんだろう」といった哲学的な問いを対話する時間です。

「あわいを問い続ける」というフィロソフィー

イ: センジュ出版のホームページや名刺にも書かれている「あわいを問い続ける」という言葉について教えてください。

吉満: 「間」という漢字は、壁や溝、断絶といった意味合いも持ちますが、私たちが言う「あわい」とは、二つの円が少しずつ近づいて重なり合った部分、その重なりを指します。対話をすればするほど、何が分かってくるかというと、実は「分かり合えないこと」が分かってくるんです。相手のことを聞けば聞くほど、自分とは違う人間だということが分かり、分からないことを分かり合える。そうすると、「分からないからさようなら」という選択肢も生まれる一方で、分かり合えないことを分かり合った後に、「でもひょっとしたらどこか小さな点でもいいから、あなたと重なり合うところはないですか?」と共通点を見出そうとすることができる。これが哲学対話で目指すところです。 白と黒のように一切分かり合えない二つのものが、共通点を見出して重なり合った時に生まれるのがグレーです。脳は白黒つけたがる性質を持っているため、グレーは居心地が悪く不安で怖いものだと感じるかもしれません。しかし、このグレーに留まること、グレーを愛すること、グレーを慈しむことができたら、人はもっと優しくなれるのではないかと信じています。この「あわいを問い続ける」という言葉も、「対話する会社」という言葉が決まった時に、スタッフとの対話の中で「私がやってることはあわいを問い続けることかもしれない」と発言したことから、会社の言葉として採用されました。

仕事の挑戦と難しさ、そして体との対話

イ: このお仕事ならではの大変さや難しさはありますか?

吉満: 高校生の時に人に携わる仕事に就きたいと思い、今も編集者を続けられているのは幸せな人生だと感じています。ただ、日々のクローズアップした部分では難しさも感じています。特に、スマートフォンから情報が得られることが当たり前になり、本屋さんの数が減り、本を読む人が減っている現状の中で、「本」という、とても資本主義と相性の悪いものを選んでしまったな、と何度か思うことがあります。なるべく短い時間でなるべく利益を出すという資本主義の絶対的原理と、教育や本は相性が悪いと感じています。 しかし、いつもその先に感じるのは、自分がしたくて始めたことだけれど、どこか「させられているような感覚」があることです。やめたくてもやめさせてもらえない。辛いと思うと誰かがやってきて、「センジュ出版ってこんな会社だよね」「センジュ出版の作る本はこうだよね」と言われると、「あ、じゃあ続けます」という感じになるんです。

イ: 仕事をする上で譲れない価値観はありますか?

吉満: やはり「楽しむ」という気持ちです。頼まれて仕事をする時、それを楽しめなければ継続は難しい。体ごと愛して仕事を楽しむためには、自分自身もそのことを楽しんでいるという気持ちが大切だと考えています。

イ: 近年、特に重要だと感じていることはありますか?

吉満: 「非言語の中にある情報」です。特に沖縄で出会った、言葉を発することができなくなった子供たちやその親御さん、そして彼らに寄り添うケアに関わる方々との出会いが大きかったです。そこには言葉がないけれども本当の言葉がたくさんあることに気づき、「私、自分のこと1回全否定しちゃったんですよ」と。それは「非言語の中にだって言葉があるじゃないか、それも聞くことができるようになって初めて私は言語化って言えるんじゃないか」と思ったからです。言葉にするのが難しい、と感じています。 体との対話にも関心があり、私自身も古武術を習っています。古武術の先生からは、武術は相手の殺意を自分の体で受けた時に平和な変換装置にすることができる、相手の殺意を崩させることが一番の価値だと教わりました。これを「まず自分が自分に向けてる刃からコントロールしたい」という思いで、できる限り自分の体の声を聞いてケアし、自分の中の殺意も平和な自分に導くことができるか、ということを日々挑戦しています。

未来への展望:非言語の対話と沖縄への縁

イ: 今後の展望についてお聞かせください。

吉満: これからも本は作り続けていきたいですし、本を信じています。本が見せてくれる世界をこれからも楽しんでいきたいです。そして、非言語の中にある情報に気づいた経験から、今後は非言語の対話という事業を立ち上げたいと考えています。言葉にだけ頼るのではなく、体の声を聞く、体と遊ぶといった非言語の領域の対話を探求し、そこで聞こえてきた声を単語でもキーワードでもいいので言葉にすることを試みてほしいと考えています。自分の内なる言葉になっていないものにまず聞き耳を立てて、それを言葉にしていくことで、言葉にしてほしいと思っていた自分を喜ばせることを体感してほしい。そして、なんとその拠点を沖縄に作ろうと思っているんです。

イ: なぜ沖縄なのでしょうか?

吉満: 沖縄には「おなり神信仰」という、姉妹の霊力に対する信仰があります。男性が命の危険を伴う場所へ向かう際に、姉妹が神様にお祈りをしてその力で守ったという文化が琉球王朝時代から残っているそうです。ある沖縄のアロマセラピストの方から、「吉満さんはかつておなり神だったことがありましたよ、沖縄には縁がありました」と言われたことがあります。まだ納得できているわけではないものの、これから沖縄で事業をしたいと考えている私にとっては、縁があって沖縄に導かれたのかもしれないと感じています。沖縄では、女性が神事を担う文化があり、琉球王朝でも聞得大君(きこえおおきみ)と呼ばれる王様の姉妹などが最高神官を務めていたそうです。

最新刊『光の影の愛』と読者へのメッセージ

イ: 最新刊について教えていただけますか?

吉満: センジュ出版の最新刊は、川端知義さんという42歳の男性による『光の影の愛』という本です。これは、彼自身の心が傷ついた経験から、心の動きと平和な状態への道を哲学対話のように探求した結果生まれた、メンタルに関する本です。ノウハウだけでなく、彼がなぜそれを生み出さなくてはいけなかったのかという内省が書かれており、著者の生き様や心の葛藤、そして見出した光にも影にも同じように美しい愛があるということについて、読者と一緒に読んでほしいと願っています。この本のカバーや表紙の撮影は、沖縄こどもホスピスのようなものプロジェクト代表の宮本二郎さんが手がけてくださいました。今後、著者と共に全国を回ってこの本に込めた思いを伝えていく予定です。センジュ出版のメールマガジンやSNSで日程をチェックしていただくか、会を主催していただければどこへでも伺います。

イ: 最後に、ユニークなキャリアに憧れる人や自分の道に悩んでいる人へのメッセージをお願いします。

吉満: 「目の前の人の顔を見ること」です。自分のことは分からないからこそ、目の前の人がどんな顔をしているか(笑っているのか怒っているのか泣いているのか)に興味を持ち、その顔こそが「私の顔」だと捉えることができる。その目の前の顔に対して自分がどんな声をかけたり手を差し伸べたりするかという経験から、自然と必要な場所に導かれると信じています。

おわりに

吉満明子さんのお話は、本づくりの枠を超え、対話、あわい、非言語コミュニケーション、そして自己探求へと深く広がっていきました。センジュ出版が単なる出版社ではなく、人と人が向き合い、互いの内なる声に耳を傾け、「あわい」を見出していく場であることが強く伝わってきました。吉満さんの言葉の一つ一つから、本への、そして人への深い愛情が感じられました。沖縄での新たな挑戦も含め、今後のセンジュ出版の活動から目が離せません。 ご興味を持たれた方は、ぜひセンジュ出版のホームページをチェックし、本を手に取ってみてください。

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