皆さん、こんにちは!「ミラクルモンスター」へようこそ。この番組は、ユニークな経歴や珍しいお仕事をしている方をゲストにお招きし、その道のりや考え方、夢中になっていることをとことん伺い、リスナーの皆さんと一緒に勝手に応援していく番組です。皆さんの日常に新しい発見やワクワクをお届けできたら嬉しいです。
今回は、読谷村のロックスター、ナオキ屋さんがゲストです!
ナオキ屋
ナオキ屋(ナオキヤ)商標登録第5711794号 。血液型B型。西暦XX73年6月5日生(年齢非公表) 。
全曲作詞作曲、全楽器演奏、録音、打ち込み、アートワーク、自作落語、ステージ衣装製作、小道具製作、カレンダー製作(毎年)、マネージメントなどをすべて一人でこなし、音楽ジャンルは、ロックンロール、パンク、ファンク、R&B、ラップ、レゲエ、ジャズ、テクノ、演歌、ムード歌謡、AOR、エモ、アカペラ、8bit、J-POPなど多岐にわたり、ありとあらゆるジャンルの曲を作り出していく、沖縄県読谷村生まれ、読谷村育ち、読谷在住、浦添市ライブハウス「グルーヴ」出身のB級ミュージシャン界のトップを目指す、自称音楽雑食、自己愛中毒系ワールドBクラス・ミュージシャン。沖縄県内中心にライブ活動中。
https://naokiya-web.studio.site

この番組は、ミライカナイ、夢は必ず叶うという思いを込めたNPO法人 Mirai Kanai の提供でお送りいたします。
イ: 本日はよろしくお願いいたします!早速ですが、ナオキ屋さんは今、どのような活動をされているのでしょうか?
ナオキ屋: はい、よろしくお願いします!私は20代後半から音楽活動を始め、 今は某局でラジオパーソナリティをしています。それから、「ナオキ屋」としての音楽活動と、月1連載で週刊誌に漫画も書いていますね。最近では、ある美人アナウンサーのソロCDデビューのプロデュースも手がけています。
イ: 音楽活動がメインかと思いきや、漫画まで!驚くほど多才ですね。ライブでのパフォーマンスもかなりユニークだと伺っています。
ナオキ屋: そうですね(笑)。僕はエアギターで暴れ回ったり、ライブハウスから飛び出したりと、結構パンクなスタイルでやっています。昔はスピーカーの上からジャンプしそうになったこともありましたし、軽自動車にスピーカーとマイクを積んで、ライブ後に「お疲れ様でした!」と叫んで帰ったりしていました。ステージ上ではかなり暴れて「危ない人」に見えるかもしれませんが、実はステージ裏ではすごく腰が低くて、ただの優しい人なんです。普段の鬱憤をライブで晴らしているようなものですね。顔に稲妻を描いたりもしますよ。
イ: そのギャップがまた魅力ですね!そんなナオキ屋さんの原点を探るべく、子供の頃や学生時代に興味を持っていたこと、今の活動に繋がっていることはありますか?
ナオキ屋: 実は、あまり言いたくないんですけど、私は読谷村でスーパーいじめられっ子でした。同級生が大人になって再会した時に「本当に頑張ったね」と泣いてくれたほどです。男子からひどくいじめられていて、周りの女子は心配していたそうです。でも、その経験を「面白いことに変換できるようになって」、高校で面白いグループに入ってからは「こうやっていけばいいんだ」という感覚を掴みました。それが表現すること、漫画を描くことに繋がっていったんだと思います。
イ: 壮絶な経験が原動力になっているのですね。当時の音楽事情はどうでしたか?
ナオキ屋: 私たちの時代、ロックやメタルはあまり流行っていませんでした。体育会系の人がヒーローで、ロックやメタルをやっている人はクラスの「下の方」にいて、後ろ髪を伸ばしていたりして「ダサい」と見られていたんです。だから、当時は音楽の道に進もうとは思わなかったですね。
イ: 社会に出てから、最初に選んだお仕事で今に繋がっていると思うことはありますか?
ナオキ屋: 最初は親父の紹介でたこ焼き屋をアルバイトで始めました。無職の時に「知り合いのたこ焼き屋をやりなさい」と言われて。そこでお店の名前を「ナオキ屋」と自分で決めました。 たこ焼き屋自体は半年で辞めてしまいましたが、その「ナオキ屋」という名前だけは残して、 その後バンドを組んだり、漫画を描いたりするようになりました。ヤングマガジンにギャグ漫画を投稿していたこともありますよ。
イ: 「ナオキ屋」という名前は、そんな昔から!ターニングポイントになった出来事はありましたか?
ナオキ屋: 私にとっての大きなターニングポイントは、2000年代に沖縄でMONGOL800(モンパチ)ブームが来たことです。当時26歳、30手前でしたが、「もう漫画を書いている場合じゃない!」と強烈に思い、人生を投げうってでも音楽の道に進みたいと思ったんです。周りの友人が音楽を辞めていく中で、私は30歳手前で「ナオキ屋」として音楽活動を始めました。
イ: 29歳からモンパチに熱狂して音楽を始めるというのは、本当にすごい決断ですね!
ナオキ屋: そうですね。モンパチのキヨサクとは同級生なんですが、彼の方がキャリアは10年以上長い。私は一度、音楽で食っていくために仕事を辞めたのですが、それが40代だったので、「お前は全て10年遅れてきている」と言われることもあります(笑)。
イ: 音楽で食っていくために仕事を辞めた、とはまた大胆ですね。その当時、電光掲示板を背負って歩いていたと伺ったのですが、どういうことでしょうか?
ナオキ屋: ああ、あれは仕事を辞めて、また戻ってからですね。ワンマンライブの告知のために、「動く電光掲示板」と称して、Amazonで買ったLED電光掲示板をギターバッグにくっつけて、モバイルバッテリーで点灯させながら毎日夜中に歩いていました。最終的には7〜8人で旗を持って歩いたりもしましたね。選挙みたいに手振りもしていました(笑)。
イ: まさに「歩く広告」ですね!ライブでのパフォーマンスもかなり型破りだったとか?
ナオキ屋: ライブでは、お客さんを「人」と呼んだり、粉のジュース(砂糖ですよ!)をアルミホイルに入れてストローで鼻から吸うようなパフォーマンスをしていました。すごく盛り上がったんですが、数年前に危険ドラッグが流行ってしまい、「これはまずい、子供には見せたくない」と思うようになり、今は全くやっていません。大人になったんです(笑)。
イ: ナオキ屋さんの現在のメインのお仕事についてもお聞かせください。
ナオキ屋: 普段はサラリーマンなんです。もう20代から20年近く、ずっと基地関係の仕事をしています。今は米軍車両のチェックの仕事をしていますね。
イ: ロックスターの顔とサラリーマンの顔、両方お持ちなんですね!一度仕事を辞めた時の経験が、今のお仕事への向き合い方にも影響していると伺いました。
ナオキ屋: そうなんです。42歳で、何も考えずに仕事を辞めて音楽の道に進もうとしたんです。辞める前は、通勤時間や会社での無意味な会話に常にイライラしていました。「俺はなんでこんなことに時間を使っているんだ!」「やりたいことはこれじゃない!」 と。それで啖呵を切って「音楽で生きていく」と社長に告げて辞めました。
ところが、いざ音楽だけをやる生活になったら、朝も起きられないし、何にもできない。 音楽を勉強してもお金になるわけでもない。プールしていたお金は減っていくばかりで、自己嫌悪に陥る毎日でした。3000円の時計すら買えない自分が情けなくて…。そんな生活が2年ほど続きました。
イ: それは辛い経験でしたね。
ナオキ屋: ええ。そんな時に、たまたま前の会社の社長から声をかけてもらって、結局2年後に同じ職場に戻ったんです。その時思ったのは、「先輩のどうでもいい話も、ちゃんと聞けるようになったな」ということと、「給料をもらうって、こんなに尊いことなんだ」ということでした。黙っていても、ちゃんと働けば給料が振り込まれる。こんなありがたいことはない、と。
だから、仕事に対するモチベーションがガラッと変わりましたね。以前は怒っていた先輩のテレビの話も、今は「なるほど、そんな話があるんですね」と聞けるようになりました。あの2年間は、僕にとってすごく良い時間だったと今は思っています。
イ: ロックなナオキ屋さんの中に、確かなサラリーマンの顔が見えますね!
ナオキ屋: そうですね。人に給料を払ったり仕事を作るのがどれほど大変か、自分ではできなかったので、サラリーマンとして安定を得ながら、空いた時間で全てを音楽に費やす。電光掲示板を背負って歩くようなことも、仕事があるからこそできたんだと思います。仕事と音楽、このバランスが今の僕にとって一番理にかなっていると強く感じています。
イ: では、現在の音楽活動の中で、特に面白いと感じることややりがいがあれば教えてください。
ナオキ屋: コロナ禍でみんなが落ち込んでいた時期、私は仕事がなくて山ばかり登っていたんですが(笑)、その時に好きなアメリカのミュージシャン、ルイス・コールに感銘を受けました。彼の音楽は、僕が落ち込んでいる時にすごく元気を与えてくれたんです。「なんて高揚する音楽なんだ!」 と思って、いつかライブを観に行きたいと思っていたら、日本に来るというので大阪まで見に行きました。
その時、「この音楽を味わえて、めちゃくちゃ幸せだ」と心から思ったんです。沖縄に帰ってきて、ドラムの小野上君に「あの音楽を再現したい!」と協力してもらって、またバンド活動を本格的に始めました。
音楽を作る上では、とにかく聞いている人がびっくりするような、この世の中にできるだけないような音楽を作りたいと思っています。歌詞の内容ですね。例えば、「私より6」という曲では、日本の借金を払うからと口座番号を伝えて振り込みを求めたり、読谷の紅芋について歌ったり、落語をCDに入れたりもします。
イ: かなり独創的な歌詞ですね!
ナオキ屋: そうなんです。でも、ただ変なだけではなく、ちゃんとパンクやファンク、ブラックミュージック、レゲエなどを徹底的に勉強して、音楽としての土台はしっかり作っています。 その上で、僕にしか言えないような、人が言わないような変な歌詞を乗せるように心がけています。ブラックジョークのようなものですが、その根底には音楽の基礎があるんです。
昔、国際映画祭の予選でAV女優の曲を歌った時に、吉本沖縄の社長になっている美人な審査員の方に「何がしたいかわからない」「あなたは音楽よりスクールに行った方がいい」 と言われたこともあります(笑)。
イ: それはすごいエピソードですね!ナオキ屋さんは、かつてKariyushi 58のベーシストを狙っていたという話も聞きました。
ナオキ屋: そう、狙ってましたね(笑)。僕はベーシストなので、「ベース弾けるよ!」と。キヨサクとは10歳くらい歳が離れているのですが、当時彼らが大成功しているのを見て、一度は「ワンチャン、ベースで入れるんじゃないか?」と思っていました。でも、向こうはプロなので、僕ではそこまで行けないだろうな、とは思いますけどね。
イ: ちなみに、ナオキ屋さんの活動の根源的なモチベーションは何なのでしょう?
ナオキ屋: 実は、「モテたかったから」です(笑)。
イ: ええ!?「モテたかったから」ですか!?
ナオキ屋: はい(笑)。実際に結婚した時期があったんですが、その時は「モテる必要がないから」と、「ナオキ屋」としての活動を半年間ほど休んでしまったことがあります。モテたい、という気持ちが、僕の音楽活動の大きな原動力なんです。もちろん、根底には音楽への愛もありますが、モチベーションには波がありますね。
イ: 面白すぎてもっとお話を伺いたいのですが、最後にナオキ屋さんの今後の展望についてお聞かせください。
ナオキ屋: 今、直近の夢は、プロデュースした美人アナウンサーの竹中智さんの写真集付きCDを、もっともっと広めていきたいということです。
そして、個人的には今52歳なので、60歳を目安にあと4枚くらいアルバムを出せたらと考えています。体が動かなくなったり、目が悪くなったりする前に、どんどん物を作っていきたい。「終わり」を意識することが、逆に自分に馬力がかかって頑張ろうというモチベーションになっていますね。
イ: 素晴らしい目標ですね!それでは最後に、ナオキ屋さんのようにユニークなキャリアに憧れている方や、悩んでいる若い世代にメッセージをお願いします。
ナオキ屋: そうですね…まず、小学校の時にバキバキにいじめられていないと無理です! (笑)。それくらいの耐久性がないと。あと、高校時代にロックが流行ってない人。
イ: その条件はなかなかハードルが高いですね…!
ナオキ屋: (笑)。でも、それが僕のモチベーションになったりもするんです。冗談はさておき、私の20代は全く面白くなくて、ずっと暗かった。でも、だんだん面白くなっていきました。
大切なのは、「楽しいことを考えてネガティブなことを言わないようにすること」、そして「ずっと続けて楽しかったら続けること」 です。昔は「お前大丈夫か?」と言われたこともありましたが、気にせずにどんどんやっていたら、周りが逆に応援し始めたんです。
ある時、恐い系のヤンキーがいる居酒屋にCDを売りに行ったことがあるんですが、「俺たちがいないところで、直キ屋のことめちゃくちゃ応援してるよ」と言ってくれたんです。地方だと、最初は文句を言ったりする人もいますが、実際頑張ったら、応援しないとダサい、という風潮になるんですよね。大人になったら、みんな子供もいて仕事もしているから、「これぐらい頑張っている人なら応援しよう」となるんです。だから、ネガティブなことはほとんど聞こえなくなりました。みんなが喜んでくれるので、勝手にモチベーションが上がります。
やり続けたら、文句を言われなくなり、逆に応援されるようになる。 それが今の私の実感です。
イ: 本当に深くて面白いお話ばかりで、あっという間でした。仕事も音楽も、どちらか一つではなく、両方があるからこそ見つけられた新しい道というのは、本当に勉強になりました。
ナオキ屋: ありがとうございます。私にとっては、それが良いバランスなんです。
イ: 最後に、ナオキ屋さんの活動をチェックできるウェブサイトやSNSがあれば教えてください。
ナオキ屋: はい。私のSNSはFacebook、Instagram、Twitterの3つです。ホームページもありますが、今一番お伝えしたいのは、プロデュースした竹中智さんの写真集付きCD「元から」 です。ラジオ沖縄のホームページからネット通販で購入できますので、ぜひ興味を持っていただけたら嬉しいです。2500円で販売しています!
イ: 竹中智さん、とても魅力的な方ですよね!ぜひチェックさせていただきます。本日は本当にありがとうございました!
ナオキ屋: ありがとうございました!
NPO法人 Mirai Kanaiがお送りしたミラクルモンスター、いかがだったでしょうか。今回のゲスト、ナオキ屋さんの「音楽も仕事もあっての道」というお話は、まさに振り切ったからこそ感じられる実体験の言葉で、大変学びの多い時間となりました。
来週もユニークなキャリアストーリーをお届けしますので、どうぞお楽しみに!