こんにちは
理事長のズケヤマです。
今日は「慰霊の日」。
沖縄で生まれ育った自分にとって、6月23日は特別な日です。
毎年この日が来ると、胸の奥がざわざわして、何とも言えない気持ちになります。
そして決まって、涙がこぼれる。
なぜなのか、言葉ではうまく説明できないけれど、
「忘れてはいけない」という声が心の奥から響いてくるのです。
戦争を経験した世代が少なくなっていく今
僕らの祖父母や、もっと上の世代が生きた「戦争の時代」。
爆音が日常だった空、壊された家、失われた命。
想像するしかないけれど、たしかにこの島で、それは現実だった。
でも今、その経験を直接語ってくれる人たちは、少しずつ少なくなってきています。
記憶は風化していく。けれど、
「記憶」じゃなくて「想い」を残すことは、僕たちの世代の役目だと思うのです。
沖縄がここまで豊かになったのは、誰かの涙と努力があったから今の沖縄には、笑顔がある。
平和に過ごす日常がある。
音楽も、祭りも、ビーチも、子どもたちの笑い声もある。
でも、それは「当たり前」にあったわけじゃない。
瓦礫から立ち上がった戦後、
苦しみながらも未来を諦めなかった人たちの努力があったからこそ、
今の「当たり前」があるんだと思います。
「明日がある」は、当たり前じゃない
慰霊の日に思い出すのは、
「この島で、たくさんの人が亡くなったこと」。
そして、「その後を生き抜いた人たちがいたこと」。
今日生きていること、
家族が笑っていること、
何気ない毎日の会話や、ごはんの香り、夕焼けの美しさ。
そんな「日常」は、
決して当然じゃなくて、ありがたいものなんだと、改めて思い出す日でもあります。
大好きな人に、大好きって言えるうちに
最近、意識して「ありがとう」と「大好き」を言うようにしています。
小さなことで怒ったり、つい当たり前に思ってしまうこともあるけれど、
「今」があるのは奇跡なんだと、心に刻みたいから。
そして、誰かの言葉や存在が、
目の前のたった一人の笑顔が、
「平和」の種になると信じてるから。
沖縄に生まれたこと。
僕に生まれたこと。
それは奇跡だ
僕がこの身体で生まれたこと、
この心を持って、この島で育ったこと、
それ自体が「奇跡」だと思う。
何万、何億通りもあった可能性の中で、
「僕」として、「沖縄で」生きていること。
だからこそ、この命を誰かのために使いたい。
少しでも、誰かの役に立つ人になりたい。
憎しみではなく、助け合いの島へ
もう争いたくない。
怒鳴り合うより、手を差し伸べたい。
人を疑うより、信じ合いたい。
戦わず、憎まず、共に生きる。
そんな日常を、僕らがこの手で育てていけるなら、
それこそが、亡くなった方々への一番の供養だと信じています。
世界が平和でありますように
テレビの向こうで今も起きている争い。
子どもたちの泣き声が響くニュース。
世界のどこかで、まだ「平和」は届いていない。
だからこそ、せめて祈る。
祈りが力になるなら、僕は祈り続ける。
安らかに眠ってください。そして、ありがとう
この島に生きる一人として、
今日、静かに心を寄せます。
どうか、安らかに眠ってください。
あなたたちが命をかけて守ってくれたこの島で、
僕たちは今を一生懸命、生きています。
ありがとう。
何度も何度も、ありがとう。
おわりに|
毎年泣けてくる理由
「なんで毎年、こんなに涙が出るんだろう」
そう思いながら、今年も目頭が熱くなる。
それはきっと、
命の重さと、今のありがたさと、
言葉にならないたくさんの感謝が、心をいっぱいにするから。
今年もこの日を迎えられたことに、感謝して。
そして、また明日から、やさしく強く生きようと思います。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
慰霊の日(いれいのひ)とは…
沖縄戦で亡くなったすべての人々の霊を慰め、平和を祈るための日であり、毎年6月23日に沖縄県で「県民の休日」として制定されています。
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背景と意味
■ 沖縄戦の終結日
1945年6月23日は、沖縄守備軍の司令官・牛島満中将らが自決し、組織的な戦闘が終結したとされる日です。
沖縄戦では、一般住民を含む約20万人が亡くなり、その4分の1が沖縄県民でした。
その痛ましい歴史を記憶し、二度と繰り返さないために、沖縄ではこの日を「慰霊の日」として大切に守り続けています。
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沖縄県民にとっての意味
■ 単なる記念日ではない
慰霊の日は、戦争の悲惨さと平和の尊さを学び、次世代に語り継ぐ日です。
この日、県内の学校や企業は休みとなり、正午には黙祷が捧げられます。
平和祈念公園(糸満市摩文仁)では「沖縄全戦没者追悼式」が開かれ、知事や首相、遺族、子どもたちが平和への誓いを新たにします。
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慰霊の日に込められた願い
• 亡くなったすべての命への追悼
• 家族を失った苦しみと共に生き抜いた人たちへの尊敬
• 沖縄が歩んだ歴史を風化させないという意思
• 世界中の戦争や暴力が終わることへの祈り
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まとめ|記憶から、祈りへ。そして未来へ。
慰霊の日は、「過去を悼む日」であると同時に、「未来を誓う日」でもあります。
私たちが今日を平和に生きられているのは、数え切れない命と犠牲のうえにあるという事実。
沖縄から発信される「平和のメッセージ」が、世界中に届くように。
そして、悲しみの歴史が、未来への希望の光になりますように。