NPO法人Mirai Kanaiがお送りする「ミラクルモンスター(ミラモン)」。この番組では、ユニークな経歴や珍しいお仕事をしている方をゲストにお招きし、その道のりや考え方、夢中になっていることをとことん深掘りしていきます。この番組は、未来と夢は必ず叶うという思いを込めたNPO法人MiraiKanai、まえうみさきこ、フリ袖グラムの提供でお送りいたします。
本日のミラクルモンスターは、ちょっと変わった面白いキャリアを持つ素敵なゲスト、ITを経営している兼島俊さんをお迎えしています。
ゲスト プロフィール

ゲスト名:兼島俊 (かねしま しゅん)
プロフィール:沖縄を拠点にSE派遣を行うIT企業社長(社員30名)
東京・大阪・福岡・ミャンマーにも拠点を展開。 元ホームレス・借金300万円のどん底から這い上がった叩き上げ起業家
職歴は中古車販売、ピザ職人、ゲームセンター店員、プロレスラー志望など多彩。 インド放浪で得た人生哲学は「死ぬまで暇つぶし」
2018年、40歳で沖縄県知事選に最年少出馬。費用を抑えた“エコな選挙”を実践。 モットーは「絶対無理をひっくり返す」と「鬼の行動力」。 信条は「ライスワークとライフワークを分けろ」「楽しそうな人の近くに行け」
現在は政治の透明化を掲げる「暴露系知事YouTuber」構想を進行中
URL
Instagram:https://www.instagram.com/kaneshimashun?
自己紹介
兼島俊:こんにちは、お邪魔します。
イ:早速ですが、まずはリスナーの皆さんに、今どんな活動をされているか自己紹介をお願いできますでしょうか。
兼島俊:僕は沖縄県で、システムエンジニア(SE)を採用して、大企業に派遣するという仕事をしています。現在社員数は30名で、本社を含めて東京、大阪、福岡、ミャンマーに拠点があります。
幼少期の創造性と自己表現
イ:子供の頃や学生時代はどんなお子さんで、何に興味を持っていましたか。
兼島俊:多分変わった子だったと思います。両親が小学校に上がる前に離婚していて、それ以前からずっと喧嘩しているのを見ていたので、本音が言えないというか、気を使ってしまうようなところがありました。ずっとノートに書いたり、一人で遊ぶような感じでしたね。漫画を真似して絵を描いたり、妄想をノートに書いたり、人に話したりしていました。周りから見ると「心ここにあらず」の状態で、常に別のことを考えているような子どもでした。
イ:今のようないわゆる「イケイケ」な感じになったのはいつ頃なんでしょう。
兼島俊:僕の中では何も変わってないんですが、鬱憤が溜まっていたんですよ。21歳ぐらいになってから「もうやったれ」という気持ちが出てきて、それを爆発させる場がバンドでした。
イ:社会に出てから最初に就いたお仕事は何だったんですか。ホームレスも含めてお話を伺いたいのですが。
兼島俊:高校卒業後、おじいちゃんの中古車屋で働いていました。車が好きではないし、人見知りだったので、お客さんが来るとカーテンを閉めて鍵を閉めて隠れていましたね。1年間で1台も売れなかったです。
おじいちゃんの孫だから許されるというのもあって、一人で何かをしたい、そういうことじゃないところに行きたいと思い、チャレンジしようと思いました。
借金とターニングポイント
イ:他にはどんなお仕事をされていましたか。
兼島俊:中古車屋の後、ピザの釜を作ったり、引っ越しをやったり、ゲームセンターで働いたり。アルバイトは15歳から居酒屋で始めて、33歳までは物流、飲食、建築、コンビニ、引っ越しなど色々な職種を経験しました。
イ:そのように様々な経験をされている中で、今のキャリアにとって決定的なターニングポイントとなった出来事や決断はありますか。
兼島俊:結婚と子供ができたことですね。33歳で結婚し、長女が生まれて、33歳で初めて就職しました。独身時代には、バンドをやりながらキックボクシングをしてバイトをして、バンド解散後にインドに行ったんです。その頃、消費者金融などから借金が300万円ぐらいありました。
イ:インドにはどれくらい行っていたんですか。
兼島俊:1ヶ月いかないぐらい、21日間です。ぶっちゃけ、死にに行ったんですよ。バンドも解散し、彼女もいない、借金もいっぱいある中で、最後に行きたいところに行ってから死のうと思っていました。
イ:インドで何か得たものはありますか。
兼島俊:死体が転がっているのを見て、目玉にハエが止まっているのを見た時、「死ぬまで暇つぶしだな」と思いました。こうなるまでにもっと面白いこと、好きなことをやった方がいいと考えました。
ホームレス経験とITへの挑戦
イ:インドから帰国されてからは?
兼島俊:インドから帰ってきて、700円しかなかったので、東京でホームレスをやっていました。家賃を払っている人がバカだなと思うくらいでしたね。ホームレスは1ヶ月したかしないかぐらいです。電話ボックスやビルとビルの隙間などで寝泊まりしていました。
イ:33歳での初就職はどのようにされたんですか?
兼島俊:履歴書の書き方が分からなかったので、自己PRや志望動機は全部白紙で出しました。面接で「なんで白紙なんですか?」と聞かれた時、「僕の思いはこんなちっちゃいとこに書ききれないです」と言って話をしました。創業社長のところは大体合格しましたね。
イ:就職した会社はどちらだったんですか?
兼島俊:5社受けて全て合格したんですが、そのうちIT業界の会社を選びました。ITだけやったことがなかったので、「やったことないから」と挑戦したんです。最初はシステムエンジニア(SE)をやりました。
イ:入社後はどのようなサラリーマン生活を送ったのですか?
兼島俊:サラリーマンになったことがなかったので、『サラリーマン金太郎』などを読んでから「めっちゃ熱い仕事ができる」と思って行ったんですが、そんなことはなかったですね。最終的には上司の社員の胸ぐらを掴んでしまい、大問題となり、会社を辞めようと話しました。
その後、階段から落ちて怪我をした際に営業の手伝いをしていたら、営業3日目ぐらいで年間600万円の契約を取ることができました。

経営者の行動原理と価値観
イ:現在のお仕事の大変さや難しさについてはいかがですか?
兼島俊:仕事の難しさというよりは、決断するかしないか。決断したことを正解にしていく仕事なので、正解がないんです。道を作っていくんです。
イ:やりがいや面白いと感じる瞬間はありますか?
兼島俊:もう「やばいだろう」というのをひっくり返した時に燃えるというか。絶対無理、絶対不可能と言われているのを壊したいんです。結果重視ですね。
イ:普段仕事をする中で、一番譲れない、大切にしている価値観やモットーは何でしょう。
兼島俊:楽しむことと、ちゃんと「保険と冒険」を打ち分けなさいとずっと言っています。ライスワーク(飯を食うための仕事)とライフワーク(人生を賭ける仕事)は絶対に分けなさいという話をしています。飯が食えてる前提で挑戦しないと周りを巻き込むことになるからです。やりたいことをできなかった理由を家族や子供のせいにしたら絶対にだめだと思っています。
沖縄県知事選挙と政治への思い

イ:会社をやりながら、ある日突然、沖縄県知事選挙に立候補されました。どういう意図があったんですか?
兼島俊:4年前の2014年の県知事選の時に、友人の結婚式で沖縄にいて、新聞で候補者のアンケートを見たんです。自分だったら何て書くだろうと書いてSNSに投稿したら、「めっちゃいいじゃん、兼島さん出ればいいのに」と言われました。借金もあったし政治経験もないけど、出られるのかなと。その4年間、「出たら面白いよね」というのを繰り返していたら、周りが固まってきて、「出た方がいいよ」と。
イ:既存の政治家にはできないことをやろうと。
兼島俊:基地問題など、もちろん別の話もあるんですが、「なんでそれしか問わないんだろう?もっとあるんじゃない?」と思ったんです。子供のこと、経済のこと、誰かが言わないといけない。既存の政党は多分やらないだろうと思った時に、自分で出ようと。テレビで政治に愚痴を言っている姿を娘に見せるのは格好悪い。挑戦もしないのに文句は言えない、死ぬ時に後悔するなと思って出馬しました。
イ:選挙に出るための費用面はいかがでしたか?
兼島俊:出るだけで供託金300万円がかかりました。会社の社長に借りて供託金を出しました。ポスター代なども含めて、トータルで350万円ぐらいでした。上2つの党は1億以上かかっている中で、350万円に抑えたのは、次の挑戦者が挑戦しやすい前例を作りたかったからです。
イ:選挙の結果はどうでしたか?
兼島俊:3,638票でした。供託金は戻ってきませんでした(有効投票数の10%が必要)。
イ:選挙に出たことによる反響はありましたか?
兼島俊:ITの営業だったんですが、県内中のIT関係の人がみんな見てくれていました。
会社を立ち上げた時も、「あの兼島さんですよね」と言って、すぐに契約してくれたりもしました。
未来への挑戦とアドバイス
イ:今後達成したい大きな目標や夢について教えてください。
兼島俊:ズバリ言うと、もう一回沖縄県知事に立候補したいと思っています。
まずは一度なってみたいというのと、自分が生まれ育った沖縄ぐらいは良くしたいという思いがあります。そして次の人のために前例を作りたいです。無名でもいけるんだという前例を。
イ:目標に向かう上で、今特に力入れていることはありますか?
兼島俊:社長業も、県知事になれないと、という思いで受けた部分があります。マネジメントや、どうやったら人気が通るのかを学ぼうと。分かったのは、本当に「覚悟」の一択だということです。
イ:プロレスラーになりたかったという話もありましたが、一時期プロレスの試合に出ていましたよね。
兼島俊:出ていました。勤めていた会社がスポンサーで、エキシビジョンマッチのバトルロワイヤルに出ました。ちゃんと練習して、週刊プロレスにも載りました。やりたいと思うことは、時間や状態が変わっても、必ずできているんです。政治もまだやりきれていないので、できるなと思っています。
イ:では、この番組を聞いている若い世代や道に悩んでいる人たちに、メッセージやアドバイスをお願いします。
兼島俊:悩んだら、楽しそうな人の近くに行ってください。最低3人です。昔営業時代は、会社の愚痴や人の愚痴しかないところにいたんですが、そこにはノウハウが溜まっていきませんでした。ポジティブな人、面白く仕事をしている人のところに行くと、考え方が変わってくるんですよ。自分がうまくいってない時は、周りも多分うまくいってないから、別のところに行ってみるべきです。東京に行ってみる、海外に行ってみるとか、視野を広げてください。
イ:兼島俊さん、本日はお忙しい中お越しいただきありがとうございました。
兼島俊:こちらこそありがとうございます。
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