はじめに
NPO法人Miraikanaiがお届けする番組「ミラクルモンスター」では、ユニークな経歴や珍しいお仕事をしている方をゲストにお招きし、その道のりや考え方、夢中になっていることをとことん伺っています。リスナーの皆さんの日常に新しい発見やワクワクをお届けできたら嬉しいです。今回のミラクルモンスターは、俳優の中山琉貴さん。沖縄出身の俳優であり、ミュージシャンでもある彼の、まさかの”大逆転”キャリアに迫ります。どんなお話が飛び出すのか、どうぞお楽しみください。
ゲストプロフィール

中山 琉貴(なかやま りゅうき)
沖縄県沖縄市コザで生まれ、西原町で育つ。
現在は東京を拠点に俳優として、映画、ドラマ、広告などで活躍。
自身のバンド「ちゅうざんBAND」でミュージシャンとしても活動し、その音楽を通じて沖縄の歴史や文化を国内外に発信。
中山 琉貴
HPhttps://lit.link/chuzanokinawan
Instagram https://www.instagram.com/chuzan_okinawan/
Xhttps://twitter.com/ok_chuzan
ちゅうざんBAND official Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/@chuzanbandofficial
インタビュー記事
幼少期から学生時代:映画とマーチングバンド
イ:琉貴さん、本日はよろしくお願いいたします。まずは、リスナーの皆さんに今どのような活動をされているか自己紹介をお願いできますでしょうか?
中山:はい、沖縄市コザで生まれ、西原町で育ちました中山琉貴と申します。今東京で俳優活動をメインでしておりまして、沖縄の作品にもちょいちょい参加しています。最近も8月に1ヶ月ほど沖縄にいて、対馬丸をテーマにした演劇に参加していました。
イ:ありがとうございます。早速ですが、子供の頃や学生時代に今の活動につながるような体験はありましたか?
中山:昔は今の役者の仕事や音楽をやるとは全く思っていなかった子供でした。映画は好きでしたけど、どちらかというと大人しいタイプでしたね。父親の影響でかなり映画を見ていて、ジャッキー・チェンの映画などをよく見ていました。
イ:高校ではマーチングバンド部だったそうですね?
中山:そうです。西原高校でマーチングバンド部に入り、トランペットを吹いていました。西原高校のマーチングバンド部は日本一にもなったことがある強豪校で、僕が3年生の時に全国大会で優勝しました。世界大会にも一度出場し、日本で開催された時に幕張メッセで参加しました。
イ:西原のマーチングバンドはかなり厳しいと聞きますが、どうでしたか?
中山:練習は確かにスポーツ根性論的な厳しさはありましたが、今振り返ると楽しさが勝っています。上下関係はありつつも風通しが良く、スパルタとは違う、本当に仲の良い部活でした。マーチングバンドは動きながら楽器を演奏するので、体力作りもかなりしました。
イ:常に息を吐きながら動くのは大変そうですね。
中山:そうですね。常に複式呼吸もしながら動いているので。今の芝居で言うとミュージカルに近いかもしれません。芝居しながら歌い、踊ったりもする感覚です。
社会人としての第一歩:コピーライター時代
イ:沖縄大学を卒業されてから、最初に選んだお仕事はどのようなものでしたか?
中山:沖縄大学卒業後、実は芸能事務所にスカウトされて東京で1年半ほど活動した時期があったのですが、うまくいかず一度諦めました。その後、東京で就職し、最初に入ったのが広告業界のコピーライターでした。これは人からの紹介でたまたま広告の世界に潜り込ませてもらった形です。
イ:コピーライターのお仕事で、今の活動に繋がっていることはありますか?
中山:コピーライターは商品の素晴らしいところをどう伝えるかを考える仕事です。対象や取材相手の良さを知る努力を徹底的に叩き込まれました。人の話を聞いて相手の良いところを探したり、良さを伝えるという点は、会社員時代に徹底的にやったので、今の芝居や曲作りに役立っていると感じます。
30歳での大転換:俳優への道

イ:そこから、今のキャリアにとってターニングポイントとなった出来事や決断はありましたか?
中山:30歳までサラリーマンをしていましたが、その経験が今の芸能の仕事の大きな土台になっていると思います。いろんな人を見て、いろんな経験をした上で俳優の道を選びましたから。正確には、30歳になる年に会社を辞めて飛び込みました。
イ:その決断のきっかけは?
中山:元々映画が好きだったので、映画の仕事がしたいという思いはありました。28歳くらいの時に会社から独立してフリーランスのライターになり、映画ライターとしてエンタメ記事などを書く仕事から映画の世界に入りました。そして、30歳手前で周りの映画監督さんやスタッフの方々と仕事や交流が増える中で、「今度一緒に仕事しませんか」と声をかけてもらうことが増えたんです。
イ:記者として参加すると思ったら、そうではなかったと?
中山:はい。現場に行ったら「ここ立ってて」とか「セリフ一言言ってもらっていい?」と、いわゆるエキストラのような形で呼ばれました。最初は手伝いのつもりだったのですが、それが1年で8作、9作と続いていきました。役者というよりは、映画を作る現場にどうにか関わりたいという気持ちだったので、俳優は監督の一番近くで働ける仕事なんだと実感しました。そこから自然と役者の道にシフトしていった形です。
イ:俳優を名乗るというのは、自分で宣言していく感じなのでしょうか?
中山:ぶっちゃけどこまで行っても自称だと思います。映画やドラマに出たり、舞台で主演したりしても、知らない人は知らないじゃないですか。プロとアマチュアの境目が人によって全然違う世界だと思います。今日からやりたいと思って「僕俳優です」と言えば俳優だと思うんです。ただ、それで飯が食えているか、周りがそう認識しているかは別問題ですね。
イ:エキストラを通じて俳優にシフトしていく中で、何か自分の中で変化はありましたか?
中山:30歳になる直前、会社を辞めてフリーライターになりながらも、心の中では「何しに東京に来たんだっけ?」という気持ちがありました。当時の仕事は楽しかったのですが、どこか自分に言い聞かせているような状態でした。路上ライブをしている方やお笑いを頑張っているアマチュアの方を見て、昔は応援していたのに、いつしか「いつまで夢見てるんだよ」と冷めた気持ちになっている自分に気づき、マジでショックを受けました。自分自身に絶望に近いショックを受けたタイミングです。
イ:それは辛い経験ですね。
中山:そこからですね。自分と向き合い、後悔しないくらい挑戦しないと筋が通らないと思いました。ちょうどそのタイミングで「役者やらない?」と声がかかり、趣味で続けていた音楽もちゃんと作ってみようと思いました。そして30歳になるタイミングで、「どんなに小さい仕事でもいいから、メインの仕事がなければきっぱり諦めよう」と自分の中で線引きをしたんです。
イ:すごい覚悟ですね。
中山:すると面白いもので、その3、4日後に衝撃的なことに舞台の主演が決まったんです。本当に小さな舞台だったんですが、主演の方が事故で降板されて、代役を探していると。僕はエキストラしかしたことがなく、セリフもまともに言えるわけがないのに、なぜかオーディションで選ばれました。9日後に舞台の主演を務め、カーテンコールで拍手を浴びた時、「人生本当に一瞬で何があるかわからないな」と。これが30歳になる直前に体験した、自分にとっての大きなきっかけであり、自信になりました。そこから本格的に芸能の仕事にシフトしていきました。
イ:私も30歳はターニングポイントでした。中山さんとは反対で、私は30歳までバンド活動をしていて、このままではダメだと思って働き始めました。30歳という年齢は、人生の大きな節目なのかもしれませんね。
俳優業の面白さとやりがい

イ:琉貴さんが今されている仕事で、たまらなく面白いと感じる瞬間はどんな時ですか?
中山:仕事俳優に関係なく、終わった後にお酒を飲むのが一番楽しいですね。本当に達成感。そのために頑張っています。俳優業もそうですが、音楽活動も同じで、ずっと同じことをする仕事ではないので、作品ごと、イベントごと、プロジェクトごとに一緒にやる仲間が変わるんです。毎回チームが変わる働き方なので、毎回学園祭をやって打ち上げをするような感覚に近いかもしれません。
イ:それはイメージしやすいです。短期集中型で、毎回新しいメンバーとの出会いがあるんですね。
中山:はい。年に何回もいろんなチームを組んで、その作品で自分がやれることをやり尽くして、「お疲れ様でした」と言って、またお互い次の現場に散っていく。一人ひとりがプレイヤーとしての仕事なので、そこはある意味面白みでもあり、ちょっと寂しさもありますね。
イ:演じる役が全然違う中で、切り替えはどうしているんですか?
中山:人によると思いますが、全然違う話やキャラクターなので、そこはもう切り分けていく感じです。僕は映画やドラマの仕事が多いタイプの役者なので、劇団に所属している演劇の人とはまた違うかもしれません。テレビや映画館で見かける役者のほとんどは、事務所には所属していながら、自分でいろんな仕事を取っていくので、毎回仕事が違う、現場が違う、演じる役が違う、ということが多いです。
イ:映画の撮影期間はどれくらいですか?
中山:作品ごとによりますが、日本ではどんな大きな映画でも3ヶ月前後で、ほとんどは1ヶ月から2ヶ月くらいですね。有名な俳優さんが出れば出るほど、スケジュール確保が難しくなるので、短期集中で撮ることが多いです。
イ:共演者と一度も会わずに作品を終えることがあると聞きましたが、本当ですか?
中山:ありますね、全然。完成した試写会や舞台挨拶で初めて話す、ということもあります。例えばクラスメイトでぶっちゃけ話したことないけど、同窓会でめっちゃ話すみたいな感覚に近いかもしれません。同じシーンに登場しない限り、会うことはないですから。
俳優業の大変さと課題:保証とメンタルヘルス
イ:この仕事ならではの大変さや難しさ、これまで一番きつかった撮影などはありますか?
中山:一番は、次の仕事が保証されていないことですね。アスリートの方々もそうだと思いますが、次の仕事が報酬みたいな感じになっていきます。役者も職業ではありますが、お金のためだけにやるならこの世界には来ないと思うので、表現することが好き、映画が好きという情熱がある人が多いと思います。やりがいはそこにあるのですが、保証がないことで気持ちの余裕やいろんなバランスを保つのが非常に厳しい世界だと感じます。
イ:「好きなことをやっているんだから」という世間の目もありますよね。
中山:そうですね。人によるとは思いますが、しんどさや難しさ、大変さを共有しづらい面はあります。「お前が選んだんだろう」とか「嫌だったら辞めればいい」といった言葉をかけられることもあります。
イ:俳優さんはお金を借りたり、家を借りたりするのが難しいと聞いたことがあります。
中山:それは一理あると思います。日本では信用問題で、個人事業主にお金を貸すのを銀行が渋ることがよくあります。俳優やアーティストは、事務所に所属していても基本的には個人事業主なので、信用の難しさはあるかもしれません。大手事務所に所属していれば、事務所がサポートしてくれるケースもありますが、全員がそうではないので、常に大変さはあります。
イ:表現者として、メンタルの浮き沈みはどう対処されていますか?
中山:この話は芸能に限らず日本全体で、人に話しづらい空気があると思います。特にメンタルクリニックやカウンセリングは、海外では自分をケアするために非常に大事なことと認識されているのに、日本ではマイナスに捉えられがちな空気がありますよね。生きていればどんな仕事でも浮き沈みや苦しむことは必ずあると思うんです。問題なのは、それを話せない、話すと仕事が減るんじゃないかという空気の方だと僕は思っています。
イ:日本の文化的な風潮もあるのでしょうか。
中山:あると思います。僕自身も仕事を続けていれば苦しい時期はありましたし、今後もあると思います。そこはうまく付き合っていくためにも、根性論でどうこうという話ではない。本当に苦しいなら、体を癒すのと一緒で精神的なことも医療機関に頼ることは役者に限らず絶対大事なことです。そういったことを堂々と診療できる環境作りや、業界全体としても当然必要なことだという体制がもう少し広がると、かなり良くなるのではないかという課題感を持っています。すでに売れている方々が鬱病などを公表し、仕事を休むことに対して世間が寛容になってきているのは良いことですが、まだ売れていない人は「休んだらもう呼ばれないんじゃないか」「弱いから使いづらいな」と思われてしまうという残酷な面も残念ながらあります。なので、なかなかSOSを出しづらい世界だと感じています。
大切にしている価値観と迷った時の指針
イ:琉貴さんが大切にしている価値観や、仕事をする上でのモットーはありますか?
中山:素直でいること、嘘をつかないことですね。一人ではできない仕事なので、謙虚にならざるを得ないというか、人と一緒に何かを作る仕事だとやればやるほど実感します。あとは、人間臭いくらいでいいと思っています。社会性はもちろん大事ですが、表現の世界にいる以上は、自分の中で許せないことや違うなという問題意識はしっかり持って、伝えるべき時は伝えるべきだと思います。喜怒哀楽の感情もすごく大事にしたいので、社会人としての許容範囲の中でですが、素直に人間らしく、自分に嘘をつかないということを大切にしたいです。
イ:このキャリアを歩む中で、道に迷ったり立ち止まったりした時に、立ち戻る指針のようなものはありますか?
中山:そうですね。役者だからではなく、学生時代からずっと音楽が好きで続けているので、それが指針になっています。今でも「ちゅうざんBAND」というバンドでフェスに出させてもらったりしています。仕事で詰まったり、生活でしんどいなと感じる時は、シンプルに曲作りをしたり、好きな曲を演奏したりします。自分が一番好きだという気持ちを忘れないようにしているところはありますね。
イ:音楽が琉貴さんにとってのライフワークなんですね。
中山:そうですね。役者はプロとしてやらなければいけない場面が前提としてありますが、音楽に関しては一生どうせ求められなくてもやるだろうなと思っています。今も定期的にライブもさせてもらっていて、音楽が一番自分が素直でいられる場所なので、その音楽との向き合い方が、仕事である俳優業をすごく頑張れている理由だと感じています。
未来への展望
イ:今一番挑戦してみたいことや、今後達成したい大きな目標や夢はありますか?
中山:やりたいことはたくさんありますが、一つは俳優に限らず、沖縄での活動を今後増やしたいという身近な目標があります。特に今年は戦後80周年というタイミングで戦争に関わる作品に多く携わらせてもらいましたが、沖縄は知れば知るほど奥深く、自分のルーツやアイデンティティと向き合わないと新しいものは生まれないと実感しています。役者としてもそうですし、ちゅうざんBANDではテーマを沖縄に掲げて音楽を作っているので、地元と向き合う機会を増やしていきたいです。
イ:沖縄での活動、具体的に準備していることはありますか?
中山:7月に初めてアルバムを出したので、年末年明けくらいに沖縄でイベントを企画しようと思っています。ただライブをするだけでなく、ロックバンドである僕らが沖縄民謡の歌い手の方や、落語家、お笑い芸人さんと交流しながら、沖縄のことを知るきっかけを作るようなイベントにしたいです。お客さんにも、音楽でも民謡でもお笑いでも、好きなものを入り口に沖縄の多様な面や良さに触れてもらいたいです。
イ:それは素晴らしいですね。他にはありますか?
中山:あとは、日本の仕事はずっとやると思いますが、一番近い国である台湾など中華圏や東アジアの映画の世界にもすごく興味があるので、海外のアジアを少し開拓したいなと思っています。それが40代に向けての一つの目標です。高校時代、マーチングバンドで世界大会に出た時、英語が拙いのに海外から来たチームとすぐに仲良くなれた経験があります。音楽だけでこんなに繋がれるんだと。俳優としても、いろんな海外のクルーやチームと仕事をして、沖縄、そして日本出身の自分だからこそ伝えられること、逆に外の人から学びたいことがたくさんあります。
若い世代へのメッセージ
イ:最後に、この番組を聞いている若い世代の方々にメッセージやアドバイスをいただけますか?
中山:メッセージできるような立場ではないですが、本当にあんまり決めつけずに何でもやればいいと思います。とはいえ何したらいいかわからないという方が多いと思うので、自分の肌感覚としては、目の前のことを必死にやるしかないなと思っています。僕自身、役者になるなんて思ってもいませんでしたし、なんとなく憧れはあっても憧れでしかありませんでした。でも、目の前の広告コピーライターの仕事をやっていたらフリーの記者になり、映画の世界と接点ができて、目の前の振られた仕事やご縁を大切にしていたら役者をするチャンスをいただいたんです。
イ:目の前のことに全力で取り組むことが大切だと。
中山:はい。あんまり難しく考えず、今できることを全力でやるとか、思いっきり楽しむということの方が、意外とチャンスに気づけるんじゃないかなと思っています。目の前のことを真剣にやれないと、せっかく来ているチャンスにも気づけないかもしれないので。今のを一生懸命楽しみ尽くすことで、「あ、これチャンスかも」と思ったら、もう迷わず飛び込むだけだと思います。
イ:ありがとうございます。最後に告知をお願いします。
中山:はい、ありがとうございます。ちょうどこの番組が公開されている頃にはもう始まっているかもしれませんが、今年(2025年)の9月に映画「風のマジム」、それから9月19日から映画「宝島」が公開されます。どちらも沖縄を舞台に、沖縄の歴史や文化を伝える映画ですので、ぜひ見ていただきたいです。僕自身、役者としてもミュージシャンとしても沖縄を大切に活動しているので、ぜひ「中山琉貴」や「ちゅうざんBAND」で検索して、いろいろ情報を見ていただけると嬉しいです。
イ:ありがとうございました。「宝島」はぜひ見に行こうと思っています!
イ:本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。またイベントの告知などがあれば、ぜひお話聞かせてください!
NPO法人Miraikanaiがお送りしましたミラクルモンスター、いかがだったでしょうか?中山琉貴さんの、俳優業における華やかな部分だけでなく、その裏にある葛藤や大変さ、そしてそれを乗り越えるための哲学が伝わってきました。彼のお話は、きっと誰かの勇気につながると思います。
来週もユニークなキャリアストーリーをお届けしますので、どうぞお楽しみください。それでは、今週もNPO法人Miraikanai「ミラクルモンスター」をお聞きいただきありがとうございました。