
ゲストプロフィール
島国ブルワリー 儀武 大樹
- プロフィール
うるま市に拠点を置く「島国ブルワリー沖縄」を設立し、ビールを製造・販売。高校時代からバーテンダーとしてお酒に興味を持ち、東京の六本木や銀座でバーテンダー、ソムリエとしての経験を積む。
29歳でオーストラリアに渡り、そこで現在の醸造責任者であるマイク氏と出会ったことが、クラフトビール製造の道へ進む決定的なターニングポイントに。 - SNS・ホームぺージ
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島国ブルワリーとは:うるま市から始まるクラフトビール
イ:早速ですが、リスナーの皆さんにどのような活動をされているのか、自己紹介をお願いします。
島国ブルワリー大樹:はい、うるま市の高江洲赤道の山の裏の方で、「島国ブルワリー沖縄」として、うるま市でビールを販売しています。ブルワリーというのは、ビールを作る場所のことです。
イ:島国ブルワリーさん、ビールを、しかも沖縄で作っているというのは、なかなか衝撃的です。儀武さんは最初からお酒に興味があったのですか?
島国ブルワリー大樹:そうですね、初めて社会に出て選んだ仕事はバーテンダーでした。高校時代にはすでに、先生にお酒を買ってきてもらい、部屋でバーごっこをして友達にカクテルを振る舞っていました。
イ:え、高校の時から!理解のある先生がいらっしゃったのですね。その後、東京の大学に進学されたとのことですが、卒業はされたのですか?
島国ブルワリー大樹:大学はやりたいことを見つけに行きたかったので、昼夜働けるように夜間部に通っていました。でも、結局はバーにハマってしまい、大学は辞めてしまいました。六本木の「トレーディングプレイス」という、証券会社のアッパー層が集まる有名なバーで働いていたのが、ちゃんとした職務経歴の始まりです。
イ:すごいバーですね。その後、沖縄に戻られたり、また東京に戻って銀座で修行されたりと、濃密なキャリアを積まれていますね。
島国ブルワリー大樹:はい。東京ではイタリアンの名店「アロマフレスカ」で、ワインやお酒のペアリングの勉強をしました。その後、日本のトップとされる銀座のバーで経験を積みました。
決定的なターニングポイント:オーストラリアとIPAの衝撃
イ:儀武さんのキャリアにとって、決定的なターニングポイントとなった出来事は何でしょうか?
島国ブルワリー大樹:29歳の時に最後のワーキングホリデーとしてオーストラリアに行き、ワイン作りの工程を体験しました。そこで、六本木のバーで一緒だった元同僚と再会したのですが、元同僚の旦那さん、今の私の相棒となるマイクが、自宅ガレージでビールを作っていたんです。
イ:自宅のガレージでビールを!
島国ブルワリー大樹:そうです。販売しなければ、自分で消費する分には作っていいんです。彼は、この部屋の半分以下の小さな場所で、DIYで手作りの設備でビールを作っていました。私はワインを学びにいったのに、「こんなに作れるんだ」と衝撃を受けました。
イ:そのマイクさんの作ったビールを飲んだのが、クラフトビールにハマるきっかけですか?
島国ブルワリー大樹:正直、最初は「どうせ大したことないだろう」と馬鹿にしていたのですが(笑)、飲んでみたら今までに飲んだことのないようなビールで。それがおそらく、今トレンドになっているIPA(インディアン・ペール・エール)というスタイルでした。

イ:IPAとは具体的にどのようなビールなのですか?
島国ブルワリー大樹:IPAはインディアン・ペール・エールの略です。大航海時代、イギリスからインドへビールを運ぶ際に船の中でビールが持たないため、ホップを多めに炊いてアルコール度数を高めて作った、インドへ行くためのビールが起源とされています。私たちが普段飲むオリオンビールなどの一般的なビールは「ラガースタイル」で、発酵の仕方が異なります。一方、IPAを含む「エール系」は、個人でも比較的短期間(2週間程度)で造りやすいという特徴があります。
イ:沖縄の高温多湿な環境では、キレのあるラガーが求められてきたからこそ、エール系のクラフトビールはまだ知られていない部分があるのですね。
コンテナブルワリーの挑戦と販路拡大

イ:現在、島国ブルワリーとして、特に大変なことややりがいは何でしょうか?
島国ブルワリー大樹:大変なのは「販路拡大」ですね。島国ブルワリーは、日本で一番小さなビール工房で、免許を取得した当時、日本で唯一の「コンテナブルワリー」でした。コンテナを使っているため、2.7坪しかなく、製造量が限られます。
イ:小さな規模だと、具体的にどれくらいの量ができるのですか?
島国ブルワリー大樹:一度に仕込みから完成まで、だいたい140Lしかできません。小瓶に換算すると400本前後です。作る量が多いほど単価が安くなりますが、我々は製造規模が小さいため、どうしても単価が高くなってしまうんです。
イ:そうすると、ターゲットとする販売先も絞る必要がありますね。
島国ブルワリー大樹:はい。そのため、最初から高品質なビールだと評価し、少し高くても買ってくれる、高級なレストランやホテル、観光客の集まる場所をターゲットとして販路を拡大しています。
イ:やりがいはいかがですか?
島国ブルワリー大樹:私が今まで美味しいと感じたマイクのクラフトビールを、「美味しい」と思って飲んでくれる方の声を聞くこと、そして「美味しいから取り扱いたい」という販路先が増えていくことが、今のやりがいです。
イ:儀武さんは、製造自体にも携わっているのですか?
島国ブルワリー大樹:実は今、ビールの製造に関わっていないのは、代表の私だけです(笑)。美味しいものができても売れなければ意味がないので、今は営業やセミナー、販路拡大のために走り回っています。
「筋を通す」信念と未来の展望

イ:儀武さんがお仕事をする上で、これだけは譲れないと大切にしている価値観はありますか?
島国ブルワリー大樹:自分自身の考えをあまり曲げないことです。あとは、筋を通さない人、自分の利益だけで人を利用する人は、私は絶対に無理です。
イ:その強い信念を持っていらっしゃいますが、立ち止まったり、ぶれたりする時はありませんか?
島国ブルワリー大樹:昔は、お金のために自分の信念と違うことを言ってしまった時にへこむこともありました。でも今は、「それも自分」と納得できるようになりました。結婚して子供ができ、家庭や家族を守るという考えに変わって、自分の信念と違うことを言えるようになった、つまり、それを受け入れることができるようになったんです。
イ:家庭を持つことで、柔軟さが加わったのですね。ところで、うるま市には儀武さんが経営されている飲食店もあると伺いました。
島国ブルワリー大樹:はい。うるま市の赤道に、以前からあった「うさぎ」という店と、沖縄市にあった「ご飯とお酒のポルタ」が合流し、「うさギとポルタ」としてリニューアルしています。
イ:島国ブルワリーのビールを飲むことはできますか?
島国ブルワリー大樹:敷地内の居酒屋「うさギとポルタ」では、島国ブルワリーの全種類の生ビールが唯一飲めます。
イ:島国ブルワリーの販売戦略について教えてください。
島国ブルワリー大樹:島国ブルワリーは、うるま市内では「うるマルシェ」と「うち(うさギとポルタ)」でしか買えないようにしています。その他の沖縄県内では、道の駅おんなや、パレットくもじの楽園百貨さん、ぎのわのハッピーモア市場さんなどで、気軽に昼間から買える場所を絞っています。

イ:なるほど、戦略的に販売先を選んでいるのですね。
島国ブルワリー大樹:はい。私の経歴上、食に合わせたビールを提供したいと考えています。「美味しいお皿の隣には必ず島国ブルワリーがある」というのを、うちのコンセプトとしてブランディングしています。
イ:最後に、儀武さんが今一番挑戦したいこと、達成したい大きな目標を教えてください。
島国ブルワリー大樹:海外に販路を作ることです。クラフトビールは欧米が主流ですが、そこに外国人であるマイクと作った沖縄のビールで勝負をかけたいと考えています。
イ:具体的にどの国を考えていますか?
島国ブルワリー大樹:まずは、お酒の文化に対するリスペクトが強い台湾、そしてオーストラリア、ニュージーランドなどのアジア圏、東南アジアです。今、その目標に向けて、海外のバイヤーさんが集まる展示会や商談会への参加を中心に動いています。地域の活性化も大切ですが、外貨を獲得して沖縄に振り込んでもらう、ということを大切にしたいです。

イ:若者に向けて、アドバイスをお願いします。
島国ブルワリー大樹:飲食業やお酒の製造業は大変なので、しない方がいいと、とりあえずは言えます(笑)。ただ、何をするにしても、人に迷惑をかけずに自分がぶれなければ良いと思います。薄い関係でも100人の友達がいるより、1人でも2人でも、自分のことを理解してくれる仲間がいれば良いと思っています。お金を稼げるなら、外面よく、いい顔をして、信念を曲げなければいいんじゃないですかね。
イ:心に響くメッセージ、ありがとうございました。本日のゲストは島国ブルワリーの儀武大樹さんでした。