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【インタビュー】勉強大嫌いだった少年が、小児がん専門医になるまで。異色の経歴を持つ医師が語る「夢のかなえ方」

本日のパーソナリティは、ズケヤマセイラと崎山夏紀です。この番組は、来と夢は必ず叶うという思いを込めたNPO法人Mirai Kanaiがお送りします。今回のインタビューでは、松田先生が小児がん専門医から開業医に至るまでのユニークなキャリア、勉強嫌いだった少年時代、医師を目指したきっかけなどが語られています。また、小児医療におけるやりがいや課題、地域医療への貢献を目指す今後の展望について、パーソナリティとの間で詳細なやり取りが展開されています。番組の番外編では、ISD個性心理学を用いて子どもの個性を理解しサポートすることに関心を持つ出演者同士のフリートークもお届けします。


本日のゲスト:松田 竹広先生

松田 竹広 先生(ありんクリニック小児科 院長)
○プロフィール
浦添市生まれ。熊本大学医学部を卒業後、20年以上にわたり、小児白血病・小児がんを中心に、小児の高度医療を提供する大学病院・こども病院で勤務。
令和3年9月に地元である浦添市伊祖にて、ありんクリニック小児科を一般小児科クリニックとして開院。

○ホームぺージ: ありんクリニック小児科 https://www.arin-clinic.okinawa/


小児がん専門医としての経験と開業までの経緯

イ:松田先生、本日はようこそ。まず、リスナーの皆さんに、現在どんな活動をされているか自己紹介をお願いします。
松田:浦添市の伊祖で、2021年からありんクリニック小児科という一般小児科のクリニックで院長として診療しています。
イ:2021年の開院前は、小児がんの専門として子供医療センターにいらしたと伺っていますが、ご専門は小児がんなのですね。
松田:はい、そうです。私は20年以上、小児白血病・小児がんを中心に、小児の高度医療を提供する大学病院・こども病院で働いてきました。地元でクリニックを開業するご縁があり、地域医療に従事させていただくことになりました。
イ:学生時代、勉強は得意でしたか?医者になるのは難しかったのではないですか?
松田:子どもの頃はウーマクー(わんぱく)で、しょっちゅう走り回って怪我をして、10回以上縫った記憶があります。勉強は「大嫌い」でした。小学校6年生の時には因数分解が終わるほど、公文には通っていましたが、大嫌いなのに集中できるという特性があったようです。医者になろうと思ったきっかけは、人と関わる仕事がしたいと思ったからです。中学高校時代は人見知りでほとんど人と喋らなかったのですが、人は好きで。
イ:小児科を選んだのはなぜですか?また、整形外科医になりたかった時期もあったそうですが。
松田:もともと子どもと遊ぶことが好きで小児科医を選択しました。大学時代は体育会系のソフトテニスをやっていて、本当は整形外科に入りたかったのですが、手術の見学中に汗がポタポタと出るほどの汗かきで、手術は無理だと諦めました。
イ:小児がんに携わるようになったのは、希望だったのですか?
松田:琉球大学病院に戻った4年目ぐらいから、ずっと小児がんしか見ていませんでした。小児がんをやる先生が少なかったことと、小児がんの先生が熱くて良い先生だったので、一緒にやってみようかなと思ったのがきっかけです。


小児がんの治療と、医師としてのメンタルケア


イ:小児がんという特殊な分野でのお仕事は、どのようなものですか?
松田:小児がんの患者は沖縄だと年間10名から20名ほどです。昔のドラマだと治らないイメージがあるかもしれませんが、実際は抗がん剤を使ってしっかり治療すれば、8割から9割ぐらいは治ります。白血病が最も多く、熱が1ヶ月続いたり、貧血で顔色が真っ白になったりして病院に来るケースが多いです。
イ:原因は分かっているのでしょうか?
松田:今のところ、小児がんの原因は分かっていないと言われています。大人と違って、健康診断で見つかるのではなく、体調不良で病院に来て検査をしたら癌だったというケースが多いです。
イ:患者さんを診る上で、メンタルは大丈夫ですか?
松田:子どもたちは癌があろうとなかろうと、常に前向きに頑張っていて、今を一生懸命生きています。毎日毎日、一生懸命楽しく生きている姿を見ると、むしろ素晴らしいと思います。ただ、残念ながら亡くなる子も年に1人くらいいるのですが、その時は自分の心にはぽっかりと穴が開いて、とても痛いです。それでも、また他の患者さんがたくさんいるので、頑張らないと、と思っています。


一般小児科医としての日常と譲れない価値観


イ:開業されてからは、小児がんの専門医として見ていた年間10〜20名の患者さんから一変し、今は膨大な数の患者さんを診られていますね。
松田:小児がんを専門にしていた時は、半年から1年かけて入院を通して見ていく感じでしたが、今は年間2万4千名(1日約100名)の元気な子どもたちの風邪を診ていくことになります。
イ:やりがいの違いはありますか?
松田:親からしたら、癌の心配も、生後1ヶ月の子どもの顔にできたブツブツ1個の心配も、同じだと思っています。そのため、ブツブツ1個の赤ちゃんでも、癌の子でも、親の心配を同じだと思って一生懸命やっています。
イ:大変なこと、難しいと感じることはありますか?
松田:ずっと大学病院とこども病院にいたので、珍しい病気や重症の人ばかり見てきました。そのため、来る人来る人全員、常に集中して一生懸命見ています。体力が削られ、夕方になるとフラフラします。
イ:お仕事をする中で、これだけは譲れない価値観はありますか?
松田:なるべく来た患者さんは誰も断らないということです。例えば、小児科ではないのに、80歳ぐらいのおじいちゃんが指を切って来てしまった時も、断らずに案内しました。
イ:開業されたのは、何かきっかけがあったのですか?
松田:定年まで南部医療センターで小児がんの子どもを見ていくつもりでしたが、小児がんをやりたいという後輩が増えてきたため、自分が席を譲り、働く場所をあげようと思いました。たまたまその時、地元で生まれ育った伊祖で開業しないかという話があったので、開業しました。
イ:一般小児科として診療される中で、意外な患者さんはいますか?
松田:不登校の子も結構来ます。朝起きられない、学校に行けないという症状で、何かしら原因があるかもしれないということで来院されます。
イ:診察に時間をかけるタイプだと思いますが、クリニックの回転は大丈夫ですか?
松田:患者さんの話をよく聞くので、待合室が待っている、と職員から怒られることがあります。医者が増えると、患者さんを受け入れられるようになり、職員がより忙しくなってしまったというエピソードもあります。


沖縄の地域医療への貢献と未来の展望

イ:松田先生の未来の展望についてお聞かせください。
松田:子どもの頃から、世界中の子どもを笑顔にしたいという夢がありましたが、40歳ぐらいで無理だと気づきました。今は、自分の手の届く範囲の人たちを、まずは笑顔にしていきたいと思っています。子どもたちを笑顔にすることで、家族が幸せになり、愛に溢れる地域になるように頑張っていきたいです。
イ:沖縄県の小児科の数について、課題があるそうですね。
松田:沖縄県は子どもが多い県ですが、小児科医や開業医の数は全国平均の6割未満しかありません。そのため、インフルエンザやコロナ流行期には、病院に行くところがないという問題があります。クリニックとして、小児がん患者や医療的ケア児の在宅診療にも関わっていきたいと考えていますが、まずは小児科医を増やしていきたいと思っています。
イ:現在、その目標に向かって取り組んでいることはありますか?
松田:ありがたいことに、一緒に働きたいと言ってくれる後輩の先生が何人かいるので、そういった先生たちと相談しながら、働く場所を作っていけたらと思っています。
イ:自分の道に悩んでいるリスナーにアドバイスをお願いします。
松田:人生の目標や、何をしたいのか、といったことは、無理して持つ必要はないと思っています。やりたいことがあれば、自然に元気ややる気が湧いてくると思うので、普段はエネルギーをためておいて、やりたいことや好きなことが見つかった時に、そこを目指して一生懸命やっていけば立派な大人になっていくのではないかと思います。
イ:最後に、松田先生の活動を見られる場所はありますか?
松田:クリニックのホームページ https://www.arin-clinic.okinawa/ があります。また、沖縄に「こどもホスピスのようなものを作ろう」というプロジェクト「ポスロッチ https://posloch.okinawa/ 」にも関わっているので、そちらも応援していただけたら嬉しいです。
イ:松田先生、本日はお忙しい中、本当にありがとうございました。
松田:ありがとうございました。


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