番組概要
NPO法人Mirai Kanaiがお届けするラジオ番組「ミラクルモンスター(通称:ミラモン)」。ユニークな経歴や珍しいお仕事をしている方をゲストにお招きし、その道のりや考え方、夢中になっていることをとことん深掘りして、リスナーの皆さんと一緒に勝手に応援していく番組です。さまざまな大人の働き方や生き方を通して、子どもたちや若い世代へ未来の選択肢や夢のヒントを届けるキャリア教育も目的としています。
3. 本日のゲスト紹介
登川 ゆういちろう さん 肩書き: 沖縄の福祉を変える男/社会福祉士/会社役員(株式会社アジュテ・合同会社リフレッシュプロ沖縄) 紹介文: 社会福祉士としての現場支援と、会社役員としての経営の両面から社会変革に取り組んでいる現在の活動を2〜3行でまとめてください。 リンク: NPO法人Mirai Kanai Instagram
4. ゲストプロフィール
小柄だった少年時代の劣等感と、バドミントンや音楽(バンド活動)での成功体験。役所臨時職員、広告代理店、音市場などの多様な職歴。社会福祉士資格取得までの道のりと、母親と立ち上げた就労支援B型施設での15年間の経営経験。施設の閉鎖を経て、現在は自動車関連事業を行いつつ、うるま市の福祉改革や若者の居場所づくりに挑戦している現状。
Instagram
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5. インタビュー本編
5.1 【原点】小柄な少年時代の劣等感と、行動がもたらした成功体験
イ(インタビュアー):登川さん、本日はよろしくお願いします!まずは登川さんの「原点」から伺いたいのですが、幼少期はどんなお子さんだったんですか?
登川:よろしくお願いします。実は僕、子どもの頃はデージ(とても)体が小さかったんですよ。中学校まで身長が140cm台しかなくて。野球をやっていても後輩にレギュラーを奪われたりして、「自分は何をやってもダメなんだ」という強い劣等感を抱えていました。周りのみんなが大人に見えて、自分だけが取り残されているような感覚でしたね。
イ:140cm台!それはスポーツをする上ではかなりのハンデですね。そこからどうやってポジティブな思考に変わっていったのでしょう。
登川:転機は高校での「行動」でした。バドミントン部に入って猛練習したんですが、ある時、校内マラソン大会でいきなり10位に入賞したんです。中学時代に有名だったスポーツマンたちよりも自分が速くなっていることに驚きました。「あ、自分も動けば結果が出るんだ」と初めて自分を肯定できた瞬間でした。
イ:努力が目に見える結果として現れたんですね。音楽活動でも同じような成功体験があったとか?
登川:そうですね。高校で始めたバンドで、初めて自分で作詞作曲した曲を大人たちが「いいじゃないか」と評価してくれたんです。この「ゼロから作ったものが誰かに認められる」という経験はデカかった。この頃から「まず動いてみれば、何かが形になる」という前向きなマインドが作られた気がします。
イ:なるほど。「動けば変わる」という確信が、今の登川さんのパワフルな活動の土台になっているんですね。
登川:まさにそうです。体が小さくて何もできなかった僕が、唯一手に入れた武器が「まず動くこと」だったんですよ。
5.2 【葛藤】遠回りしたキャリアと社会福祉士資格への道のり
イ:その後、現在の社会福祉士に至るまでにはかなり多様な職歴をお持ちですよね。
登川:かなり遠回りしました(笑)。大学のオリエンテーションで「今年からカリキュラムの都合で社会福祉士の受験資格が取れません」といきなり言われるハプニングがあって。結局、資格なしで卒業して、うるま市役所の臨時職員や、広告代理店、それに音市場でも働きました。
イ:広告代理店や音市場!今の福祉のお仕事とは全く違うジャンルですが、そこで得たものはありましたか?
登川:めちゃくちゃありました。役所の仕組みや広告の取り方を学んだことは無駄ではありませんでした。ただ、音市場でイベント企画をしていた時、母の施設を手伝う話が出てきて。当時の上司に「福祉と音市場、どっちつかずならやるな!どっちかに決めろ」と厳しく迫られたんです。それが決定打になって、福祉に本腰を入れる覚悟が決まりました。
イ:その厳しいアドバイスがあったからこそ、今の道があるわけですね。でも、そこから資格を取るのは大変だったのでは?
登川:デージきつかったですよ(笑)。日中は働きながら、夜間の専門学校に2年通って、ようやく社会福祉士の資格を取りました。でも、その「遠回り」のおかげで、福祉業界しか知らない人にはない視点を持てた。いろんな社会を見てから福祉に入ったことは、僕の強みになっています。
イ:まさに「多動」な経験が、専門性に深みを与えたということですね。
5.3 【現場】就労支援B型施設立ち上げと現場で掴んだ真のやりがい
イ:お母様と一緒に就労支援B型施設を立ち上げられた原点には、幼少期の衝撃的な体験があるとお聞きしました。
登川:母が精神科の看護師だったんですが、当時は学童もなかったので、熱を出した時なんかは精神科病棟が僕の居場所だったんです。そこで、自分が連れてきたクワガタを、入院していた患者さんに本気でブチッと潰されたことがあって。「大人がこんなことするの?」って、子どもながらにデージ衝撃を受けました。
イ:クワガタを目の前で……。それはトラウマになりそうな事件ですね。
登川:普通なら怖がって終わりかもしれませんが、僕は「人間って、何でこんな風に豹変するんだろう?」と、逆に人間に強烈な興味を持ったんです。それが福祉の世界に興味を持った最初のきっかけですね。施設を立ち上げた時も、銀行融資を受けずに自己資金だけで始めたので「もう後には引けない」という本気の状態でした。
イ:現場で特に印象に残っているエピソードはありますか?
登川:一般就労は絶対に無理だと思われていた利用者が、劇的に変わった瞬間ですね。僕ら支援側が「まだ早い」と止めたのに、本人は押し切って面接に行き、合格したんです。「最低賃金」をもらえて、社会に自分の「居場所」があるということが、彼らにとってどれほどのモチベーションになるか。支援者の驕りを捨てさせられた、忘れられない経験です。
イ:支援する側が可能性を狭めてはいけない、という教訓ですね。
登川:そうです。適切な環境と報酬があれば、人はここまで変わる。現場のリアルから学んだ一番の宝物です。
5.4 【決断】経営のリアルと「施設を閉める」という苦渋の決断
イ:15年続けた施設を2026年3月に閉鎖されたという決断。2店舗経営で利用者55名という規模からの撤退、現場は相当過酷だったのではないですか?
登川:現場の泥臭さは想像以上でした。朝7時半から宜野座、海中道路、沖縄市など4市町村を4台の車で走り回る広域送迎。社会保険料の負担も重く、経営のプレッシャーは常にありました。このまま「会社を維持すること」だけが目的になって、スタッフも疲弊していく状況を放置していいのか、2年ほど悩み続けました。
イ:M&A(売却)という選択肢もあったと思うのですが、なぜそうしなかったのでしょう。
登川:実際に話はたくさん来ました。でも、中には「利用者一人紹介につき1万円で売ってくれ」といった、福祉を単なる「数字」としか見ていない生々しい提案もあった。利用者さんは僕やスタッフを信頼して通ってくれているんです。彼らを1万円で売るなんて、地元の信頼を裏切ることになる。だから「売る」のではなく、責任を持って「一旦終わらせる」道を選びました。
イ:地元の信頼を最優先された。その「幕引き」の作業は精神的にもハードだったのでは?
登川:デージきつかったです。「会社の存在=自分」だと思っていたので、自分が削られて終わっていくような感覚がありました。利用者さんを他へ繋ぎ、仕事を切り、残務処理をする。ポジティブな要素が一つもない「配線処理」のような作業の連続で、エネルギーが空っぽになりましたね。
イ:それでも、その決断があったからこそ、新しい挑戦ができるようになったわけですね。
登川:そうですね。一旦ゼロになったことで、ようやく新しい景色が見えてきました。
5.5 【信念】大切にしている価値観「受容」と「80点での即行動」
イ:登川さんが今、大切にされている指針は何ですか?
登川:樋口耕太郎さんの著書にある「受容」という言葉を大切にしています。相手の言葉を自分のフィルターでジャッジせず、まずは丸ごと飲み込む。福祉の現場でも、今の活動でも、まずは相手を「受け入れる」ことからしか信頼は生まれないと感じています。
イ:まずは受け止める。言葉では簡単ですが、実践は難しいですよね。
登川:そうですね。だからこそもう一つのモットーが「80点での即行動」です。僕は完璧主義を捨てました。100点を目指して動けなくなるより、80点の出来でもいいから素早く動いて、走りながら軌道修正する。今の車のシート清掃事業でも、このスピード感でディーラーさんとの契約を勝ち取ってきました。
イ:その多動的なパワーが、今の事業や政治活動にも活きているんですね。
登川:そうです。100点になるまで待っていたらチャンスは逃げてしまう。現場の声を聞いて即座に動く。この「多動さ」こそが、今の社会には必要だと思っています。
5.6 【未来】うるま市の福祉変革と地域・行政への次なる挑戦
イ:今後のビジョンについて教えてください。うるま市でかなり「攻め」の動きをされているそうですね。
登川:実業としての自動車事業を広げるのはもちろんですが、もう一つの柱が「うるま市の福祉変革」です。今の市長が僕のInstagramストーリーズを見ていたり、政治のリアルな空気感も感じていますが、あえてそこに踏み込みたい。既存の制度ではこぼれ落ちてしまう若者たちを救いたいんです。
イ:具体的には、どのような仕組みを作ろうとしているのですか?
登川:例えば「仕事前提ではない居場所」です。今の就労支援は「働かせること」が目的になりすぎていて、家から出る一歩が踏み出せない子にはハードルが高い。さらに重要なのが「送迎付きの支援」です。市役所に相談窓口があっても、そこまで自分で行けない人が多い。それなら、こちらから迎えに行く仕組みを公的に作ればいい。
イ:送迎付きの居場所!現場を知る登川さんならではの、泥臭いけれど本質的な解決策ですね。
登川:行政の深部に入り込んで、恩を売るくらいの戦略的な動きも必要だと思っています(笑)。現場の苦しみを知っている僕だからこそできる「攻めの福祉」を、うるま市から形にしていきます。
5.7 【メッセージ】悩む前にまず動け!多動こそが未来を切り拓く
イ:最後に、進路やキャリアに悩んでいる若い世代へメッセージをお願いします。
登川:新しいことに挑戦するのは、誰だって怖いです。僕だって今でもデージ怖いですよ。でも、頭で考えているだけでは景色は1ミリも変わりません。お金がかからないことなら、まずは動いてみてください。
イ:でも、動いて失敗したら「やっぱりダメだ」と落ち込んでしまいそうです。
登川:失敗してもいいんです!動けば必ず「次はこうしよう」という修正ポイントが見えてくる。僕のキャリアも、遠回りや施設閉鎖といった「マイナス」に見える経験が、すべて今の強みになっています。
イ:なるほど。「失敗」ではなく「データ収集」だと思えばいいんですね。
登川:その通り!「多動」であることを恐れず、好奇心に従って一歩を踏み出してください。迷っている暇があるなら、まず指先一つ、足一歩から動かす。その積み重ねが、必ずあなただけの未来を切り拓いてくれます。
イ:登川さんの熱い言葉、多くの若者の背中を押すはずです。本日はありがとうございました!
登川:こちらこそ、ありがとうございました。共に動いていきましょう!
6. 番組スポンサー募集のお知らせ
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